自宅にて青山真治監督『EM エンバーミング』を見直す。これも「好きな青山作品は?」と聞かれて名前を出した覚えがあるが、やはり全然覚えていなかった。南北戦争に始まって、ジョン・フォードから統一教会(「結婚」という主題も絡んでくる)まで、これで青山監督が生きてれば…と不謹慎に言ってしまいそうなくらい、今の映画か。新興宗教が出てくるといえば『冷たい血』と『名前のない森』という印象だったが、橋本以蔵との共同脚本だからか、さらにエグい。でも「一番好きかも」と口を滑らせてしまうくらいには、エグくなりすぎない作り物の軽さもあるかもしれないが(ユルグ・ブッドゲライトって今どうしているんだろう)。生首が『サンゲリア2』みたく飛んでくるかと思ったら、ロングで倒れるだけ、でもギョッとした。首を針で刺されて、というのは『続 殺しのらくいん』(『ピストルオペラ』)か『怪人マブゼ博士』なんだとして、鈴木清順は殺されたかと記憶していたが、なんか手を振っていて、本当に何なんだって感じ。劇中で「凡人」と呼ばれるが、凡人がヤバい人を上回るのか、映画の中で凡人でいるのはヤバいということなのか。しかも回想では若返る。それにしても三輪ひとみといい、『シェイディー・グローヴ』も『冷たい血』も自宅にカルトとは別方向に(分派?)スピって儀式している人がいて、それはフリッツ・ラングに対するジョセフ・ロージー的な行動かもしれないが、ともかく「スピってる」という言葉を聞くより早く見た映画だが、まさにスピリチュアルというより「スピってる」という言葉を口にしてしまいたくなる妙な距離感が『シェイディー・グローヴ』の部屋とか『こおろぎ』のわけのわからない感じになるのか。「カルト」とスピの間に差異があるのか(統一教会とオウムの差異?)、スピから過激化という「令和のテロリズム」への関心まで貫かれるのか、それともスピも集団化するのか、『名前のない森』の集団はどうなんだっけとか、その辺は中上健次、フォークナー、オコナーをちゃんと読まなければいけない時なのか、『名前のない森』はリアルタイムで見て独特の引きずる嫌さがあったが(一応は濱マイクにあるプラプラしている佇まいと、あの集団とは遭遇してほしくない嫌さがある)、その時はまだ『ルパン対複製人間』は見ていなかったし大和屋竺の名前は知らなかった(『忍たま乱太郎』は見ていたが)。『AA』の水際の主観とか見直したいが、あとはなんとなく二冊ほどの書籍が出るのとPFFの特集まで見返さない気がする。

ドン・シーゲル『殺人者たち』クルー・ギャラガーが亡くなったと知り見直す。クルー・ギャラガーは意外と若い頃の宍戸錠っぽい。盲学校の二階へ殺し屋コンビが上がってからのカメラを傾かせた廊下とカッコよさと足元の揺らぐ不安がミックスされた、恐怖と興奮を同時に感覚できる冒頭が既にヤバいが、死が迫るジョン・カサヴェテスへの俯瞰ショットと組み合わさる。「〇〇(監督名)の俯瞰ショットが凄い」と何人かの監督について言われるたびに、自分は気づけなかった、自分は鈍感だと惨めになるが、この際、俯瞰ショットは全てヤバい、ということだと思いたくなる。あと撃たれるカサヴェテスも、そのあとの二人でカサヴェテスをメッタ撃ちも、ハチの巣というにはあまりに何も弾がないように見える感じが他のサイレンサーを使った映画(そんな思い浮かびませんが)から頭一つ抜けている気がする。見返すとアンジー・ディッキンソンのゴーカートが今のアイドルの映像にも通じるような馬鹿みたいなヤバさ、カサヴェテスの白痴のような青空バックのレースのヘンテコ具合がさらにヤバい。アンジー・ディッキンソンの心変わりというか心が無いというのか。カサヴェテスとロナルド・レーガンという俳優の枠をどこか逸脱したようなキャリアの両者が衝突しているのもヤバいというか、カサヴェテスという人は本当何なんだろうか。
というのが気になって(そして漠然とムルナウに匹敵する何かを見たくて)カサヴェテスの『オープニング・ナイト』を久々に見直す。こちらは最後に卓球の水谷みたいなボクダノヴィッチがなぜかラストカットに本人役で出てくる。ピーター・フォークはまだしも、ボクダノヴィッチを? ぶち壊し寸前というより、本当に打ち上げを始めようとしている感じ?というかラストは夫婦漫才というのがヤバい。夫婦漫才直前に口笛吹きながら(ぶっちゃけ今回は脇役のはずの)カサヴェテスがやってくるウザさ、そしてジーナ・ローランズから「あいつぶっ殺してやる」と言われる時点で、カサヴェテスの不敵さって本当に何なんだろうかと謎は深まる。こちらは儀式を始めそうで、始めない。ただカサヴェテスと個人のまじないは『ラブ・ストリームス』といい切り離せない問題かもしれない。