『サンガイレ、17才の夏。』(アランテ・カヴァイテ)

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こちらの2015年ベストにて(新人監督賞として)名前を知ったアランテ・カヴァイテ『The Summer of Sangaile』(劇中のタイトルはSangailė)がようやく日本語字幕付きで配信されたから見た。

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Sangailė(サンガイレ)は「名前にふさわしくない」「強さがない」と母親から幼い頃に言われたらしいが、たぶん検索したところ「ailes de sang」血の翼、または「血の鷲」から由来していると思う。ビジュアルから女の子二人のバカンス映画かと思っていたが「血の鷲の夏」だと『ミッドサマー』になってしまうが、それでも本作の飛行機の曲乗りと自傷行為のイメージに相応しい。
高い所と痛いこと。映画で見ていて苦手なもの2トップ(あとは乗り物酔いと虫もある)。高い所なら今年に限っても『トップガン マーヴェリック』『シャドウ・イン・クラウド』、痛いことならクローネンバーグの新作が待っているだろうけれど、おそらく自分自身に限った話ではなく、いま見ていることが自分の身体にも起きているのかという不安。だが本作では生理的にそのように煽りはしない。
飛行ショーと、それを見つめる若い女性。その興奮と喜びの影には、死と悲劇の訪れる可能性がある。曲乗りへの夢と死の誘惑はセットだ。彼女は階段が印象に残る家へ帰ると、腕に注射でもしたのか、意識が飛ぶように得体の知れない空撮が入って、だがそれはトリップではなくコンパスによる自傷行為とやがてわかる。そのサンガイレの傷口がこちらの目にも見えるようになる頃と、ショーのクジ引き(彼女は「無垢な手」の持ち主らしい)をきっかけに知り合ったアウステとの間に同性愛的な関係が結ばれる時は重なるかもしれない。彼女は傷口を数える。妙な距離感が関係に繋がる。傷口はアウステのカメラを通して、本当の傷と作り物の塗られた色との間を行き来する。だが二人の女性が恋に落ちることは、同じ車内で並んだ時からわかっていた。もしくは周りが水着の中、一人だけ着衣のまま眩い水の中に落とされ、ただおそらく笑いながら身体を浮かせ泳ぐカットも美しかった。
楽隊の演奏やプレイヤーから流れる音楽、台を動かす音、水の流れる音など繋がっていて、そこでの人物の動きも視点も繋がっているけれど、カットを切り返すうちに時間が飛んでいるかもしれない繋ぎ方がある。たとえばアウステの部屋に初めて遊びに行き、そこで彼女の写真を見て、服を脱ぎ、寸法を測るまでの時間は繋がっているけれど、現実にはありえないくらい短い。その後になぜか音楽が途切れず外から聞こえる距離にワープしたかのように、自転車に乗って帰るカットに繋ぐ。この浮遊感が時制や虚実を狂わせることもある。一方では同一のカップルのセックスは一度しかはっきり見せず、二度目は省略するということもやる。傷口を隠すための縫い物から虫まで紐状(コード?)のモチーフが、たとえば天井に吊られたオブジェ、または排煙となって飛行機にもつきまとい、なにか浮遊と同時に地上との距離関係を狂わせているかもしれないがわからない。しかし母親の涙を流すまでの長すぎるとも短すぎるとも一切感じさせないワンカットを経て、あの空撮が彼女自身を見つめだす時から変化する。今日やりたいことが難しいから、ちゃんと明日にやる約束をする。夕暮れの鳥の群れを見上げるでも見下ろすでもなく遠くから見つめたようなショットから、そのまま二年後という字幕が重なる。時間が確実に過ぎていく。それでも終盤には翼に書かれた「My Dream」の字と、かつての写真が時間を前進するとも逆行するとも、前進してもその先には死が待ち受けているとも、つまりどのようにも解釈できるかもしれないが、不思議と感動的な別れが待っている。