菊川ストレンジャーにてゴダール『パッション』久々に見直す。
ピノキオ』のビームもヤバいが、空と飛行機雲のガクガクになるショットが改めて見ると「これが許されるのか」と唖然とする。
監督(この名前は覚えられない)が刺されてから、ユペールと会話するフィックスのショット、背後ではラズロ・サボが窓をドンドン叩いていて、途中「開けてやれば?」なんてやり取りもする(このあたり序盤の工場での口元と音声の合わない場面の狂いそうな場面と対になる)。細かい内容はうろ覚えでも、役を生きているということなのか、前後がなくても(そしてゴダールの映画と言われなくても)見ていて、サイレント映画もしくは鈴木卓爾のワンショットの映画に通じる豊かさというか、かつて愛し合っていたのか、これから愛し合うのか、少なくとも(その場にいるハンナ・シグラをモニターと並んで見る時に言うような意味での?)物語がある。そこに途中から窓が開いて割り込んでくるラズロ・サボの素朴というか場違いというか、男子ぽさ?というか三枚目というか、ともかく見ていて自然と笑顔になるような姿が本当に愛おしい。これだけでもゴダールが本当に優れた演出家なんだと思った。
続くユペールに対して「着なくていい」「脱いだままでいい」という実にゴダールらしいカットを挟んで、暗い階段へ光が当てられているショットがまたゴダールが撮ってないと言われても、それでも素晴らしかった。ノワール?ドイツ映画?サーク?スタンバーグ?相変わらずうまく言えないが、この光が本作で繰り返される「光」と「物語」と闇が一切切り離せない濃さというか、ともかく階段は不吉で、うらぶれたハンナ・シグラへのスムーズといえないズームによって顔が霞んでいき、本当にハンナ・シグラを独占しているとしかいえない、ファスビンダー映画以外でこんなズームがありえたなんて、とショックを受けるくらい。さらに暗闇で物音がしてミシェル・ピコリが口に咥えては手で遊ぶチューリップの蕾が見えてから、そのままカメラは引いていき(美しい固定ショットをあえて崩すような寄っては引くカメラ)ユペールが過ぎ去る。そして次には子羊と裸体の女性がスタジオ内の階段をのぼり、異なる光と影がユペールの裸体を包むような美しいベッドもあり、次々と繋がってるのかいないのかわからないほど異なる印象のショットが続いて、あまりに唐突に(しかし説明しすぎたら失敗するだろう)雪景色で踊る女が映画を終わらせる。
「注文をメモするから」と言いながらなぜか脱いで海老反りするのは物凄く覚えていた。ミリエム・ルーセルが星の形になる長回しもヤバいけど、そのショットの最後はラズロ・サボ(やはりこの名脇役ぶりが愛しい)と監督の座った後ろ姿がなんだか可愛らしい。馬がスタジオをドタドタ動いてユサユサ人を乗せているのを見ながらフォード特集のことを思い出す。ステヴナンのキックには笑った。

ミゲル・ゴメス、モーレン・ファゼンデイロ『ツガチハ日記』はタイトル何語じゃと思って見たら謎が解けた。ありそうでなかった時間逆行バカンス映画になりそうで、そうわかりやすい構造にも、ややこしいことにもならず(というか、その辺は途中で話してくれる)、というか、よりユルい側へ逸脱していった。話が先に行かないとわからせてからかミゲル・ゴメスということか? 広島で『アラビアンナイト』最後まで見た後に「これでいいんですか?」と恐る恐る知人に聞いた覚えあるが、それほど凄いというより、なんとも「これでいーのかしら」感はまだある。なぜか……。そして食後の眠気に襲われる。いや、休みの日に見るには気持ちのいい映画だったが。

菊川に戻って『JLG/自画像』。ユーロスペースにて初めて見たときの、暗くて、眠くて、ジジ臭い本作の印象が激変。グザヴィエ・ドランに限らず若者が平気でジジ臭い映画を撮ると知ったからか(それはたぶん今に限らないが)、あれからルソーの映画もギトリの映画も、あの頃よりはいろいろ見たからか、90過ぎのゴダールまで見たからか、もう超絶元気でカッコいい映画に見えて驚いた。まあ、若々しくテニスをしていたのは初見から覚えているが……やはり若く美しい女性もいる。無人の室内もゾクゾクするが、もうゴダールを見て、声を聞いているだけでいい(これは亡くなったからとは別問題)。何より短い。ただあの頃のフィルムで見た画面が暗くて眠いけど何やら凄いんじゃないかと頑張って見た『JLG/自画像』こそ本物で、こちらはステロイド注射でも何かした別の映画と言われるかもしれないが。

自宅にてフランク・タシュリン『腰抜け二丁拳銃の息子』冒頭からゴダールか?というナレーションとストップモーションの組み合わせ。さすがだ。凄い。『おしゃれスパイ危機連発』序盤の刑事のズボンを脱がせるくだりといい、サメかと思いきや小魚やイルカがやってくるところといい、下半身ネタが『勝手に逃げろ/人生』とかよぎって面白い(というと下ネタみたいだが)。ドリス・デイリチャード・ハリスが互いに自白剤を打ち合ったり、ジェリー・ルイスとの諸作や『女はそれを我慢できない』のジェーン・マンスフィールドといい、その人自身、というものを追おう(そして掴むことはできないのかもしれない)という一貫した主題は、まさに映画そのものなんじゃないかと思う。