アスガー・ファルハディ『英雄の証明』。映画以上に訴訟問題や、元になったらしき映画(アザデ・マシザデ本人のYOUTUBEにアップされた作品をさわりだけ見たら、やっぱりキアロスタミの影響下に間違いなくある映画で面白そうな……ここに書く前に最後まで見ればいいんですが。)、そもそもの事件までキアロスタミのイランへの視線、嘘というテーマは実に普遍的なんだろうと何より証明されたわけか。別にイラン人が嘘つきというわけではない。
でも『英雄の証明』は面白い。どんどん地味になっているが、冴えないわけではない。ガラス張りの空間みたいな商店の並びなんか、現実のイランの町並みなのか、作り上げた空間なのかもと不思議に見えるくらい。ここでの事件がネットにあげられ中心人物は更なるどん詰まりな状況へ追い込まれる。
面白ければ盗用問題がチャラになるわけではなく、むしろ余計にウヤムヤに済ませられないだろうが。どっちにしろ人生は続く…と第三者が言って済んだら当事者はたまったものじゃないか。でも、そういう映画だよなあ。

ラドゥ・ジューデ『野蛮人として歴史に名を残しても構わない』を配信にて見る。『アーフェリム!』も面白かったが、こちらは「シュリンゲンズィーフ以降」というフレーズがよぎった(それだけでは大島の流れを汲む長回しの充実や、『ヒロシマ・モナムール』への言及など捉え損なうだろうが)。長編デビュー作らしい『the happiest girl in the world』(09年)はCM撮影の現場を舞台にした傑作だったが(「キアロスタミ以降」といえるかもしれない)、本作では『国民の創生』と題したショーにて「オデッサの虐殺」の上演を試みる演出家が主役になる。どこから連れてきたのか怪しげな大半の面々などシュリンゲンズィーフの劇団というよりはアルベール・セラ(ファスビンダー似)のこともよぎる。彼ら「役者」をめぐる問答の後に雨の降り出すショットが固有名詞の量も含めて恐ろしく充実している上に、続くシーンでは陽が射しているのも驚く(あえて後半の舞台上演の画質と対比できる)。出資者だか役人だか発言力のある男の論点ずらしも醜悪だが、もちろん子供たちへの演出でのブニュエル的な辛辣さなど演出家の側の隙を衝く。テクストの朗読、映像の抜粋(その意図した長さ)、男性器、テレビに向かって茶々を入れる場面、飲酒など、未見の『アンラッキー・セックス』での展開が気になる。画面外から飛んでくる笑い声や、ラストのロープの軋む音(そして無音のクレジット)など、これは配信だけでは勿体なさすぎる。「くたばれロシア人!」のブーイングには苦笑いするしかないか。

アイダ・ルピノ『暴行』。今回上映されるまでは普通に見てみたい映画だったが、あの、時たまやってくる、上映のタイミングから急速に重苦しい避けられない空気が伝わってくる。見ないわけにはいかないが積極的に見たくなくなってきたが……でも見た。
まず急ぎ足でいざるを得ないヒロインに対し、残酷な展開が訪れる。
犯人が観客にはわかるが、彼女は最後まで視認できないというのに驚く。その代わり首の傷の革ジャンだけは忘れられないのだが、『ヒッチハイカー』の片眼を閉じない男のように外見の特徴の強さが匿名性にも、内面に触れているようにも取れる曖昧さに通じている。観客としては彼の嫌な予感は伝わるのだが、そこでは彼の内面と外面がせめぎ合い宙吊りになる。
さらに彼女以外の女性たちの希薄さというか……ルピノの中でも強烈な『危険な場所で』はじめニコラス・レイは女性が男性を家に迎え入れる場面の忘れがたい作家だと思うが、『暴行』では男性が傷ついた女性を家に匿う。そこに女性作家という括りの中に当てはめたとしても収まりきらないルピノの果敢さ、孤独さを見るべきなのか、それとも、ある孤独に陥った彼女が社会へ溶け込むために取らざるをえない必要な手段としてみるべきなのか。それとも映画を見る男性たちへ、彼女と向き合うためにルピノが用意した道筋なのか。

フィリッポ・メネゲッティ『ふたつの部屋、ふたりの暮らし』。キネ旬の星取表にて宮崎大祐氏が『アネット』★2で、こちらには★4だったから「どんなもんじゃない」と思い見に行ったが、これは確かに★4くらいの映画だった。バルバラ・スコヴァは勿論、相手のマルティーヌ・シュヴァリエも良かったと思うが、その辺りを言い切る自信はない。高齢のレズビアン二人の結びつきに、明らかな『鳥』の使い方は勿論、たとえば『何がジェーンに起こったか』のような近寄りがたさを(それを家族や介護士、映画内の人物とマジョリティとしての観客双方に)あえて意識させる作りが興味深いかもなあと。ラストの展開の寂しさもレズビアン吸血鬼の作家ジャン・ローランを(あくまで僕が勝手にですが)連想させてくれた。まあ『アネット』を★2にしたり、どの監督作品も企画に興味はあっても映画自体は面白いか疑問の宮崎大祐氏への信用できなさは拭えないままだが。関係ないがジョン・ファロー『大時計』のことを(そういえば夫の形見の時計の登場もよかった)検索したときに、井上正昭氏のTwitterに「ラングの『Beyond a Reasonable Doubt』が★二つ半で、ジョン・ファローの『大時計』が★四つとか、嘘だろって感じだな。まあしかし、レフェランスとしてはそこそこ使えそうだ。」という前後の繋がりはわからないツイートがあった。