シネマヴェーラにて恩地日出夫監督『女体』『めぐりあい』。
『女体』は『肉体の門』と同年だが『埴輪の女』(『あこがれ』が陶器なら、こちらは埴輪だ)も合わさって、過去と現在が結びつき、なぜ自分は今も生きているのか、という問いが浮上する。それにしても雨のなか洗面所に入るカットの凄さは何のためか……トラックインといい細部の力の入れように改めて驚く。意外と95分に収めながら、牛の解体や、終盤の睡眠薬に時間をさく。同時公開の豊田四郎『甘い汗』が2時間なのを考えると、普段あまり100分以内に収めるかどうかは気にしないが、さすがに監督の差を感じる。テレビドラマの95分や『結婚』の(これまた清順との競作みたいなことに)45分、その時間に収める語りも貴重な技術かもしれない。
『めぐりあい』、武満徹特集としては荒木一郎の歌とセットで一番耳に残る。黒沢年雄がむちゃくちゃなキャラになりすぎないギリギリの塩梅で走る。誕生日に着るTシャツのキャラには笑ったが、名前を忘れた(ロードランナーかと思ったが違った)。峰岸徹(ですよね?役者の顔と名前が覚えられない)と組んで働くところがいい。二人並んでパンし合う関係。夕立ちのハードそうな場面でも水の中を選んできた彼の前で熱く燃える火。あとは兄妹喧嘩の声に耳を塞ぎながら黒沢年雄が風呂に潜ると、酒井和歌子の家庭での笑い声に繋げるとか、ついそういうわかりやすい箇所ばかり覚えてしまうが。酒井和歌子の母である森光子の亡骸を前に、亡き父の弟である有島一郎が語る、求婚したが断られた、強い人だった、ゆっくりしていけばと言ったが、子どもたちと食事をする方を選んだ(その帰りのバスが転落してしまった)、死んでいる人より生きている人を選んだんだな、と語られる。脚本、山田信夫有島一郎の下で酒井和歌子の弟は暮らすことを選ぶ(背景に上る煙突の黒い煙)。酒井和歌子は、できるところまで一人でやっていきたいんです、と笑顔で川崎での寮生活を選ぶ。「一人でやっていく」という言葉が、「生きている人を選んだ」母の選択の下に、誕生日の黒沢年雄と海で泳いだ日の会話の下にある。不幸の連鎖でもありながら、それは「生きている方を選んだ」からともいえるし、そこに常に死者の、もう会えない人たちがいるからというのもある。この連鎖についての話を恩地日出夫の映画に常に感じるが、それを山田太一山田信夫や、そうした脚本家たちがいたからか、それとも初期の『若い狼』『非情の青春』(どちらも不勉強ながら未見)、さらに『女体』の脚本も自身で書いている。

伊豆の踊子』のテレビドラマ版(67年の監督作は未見)を見て、「こういう話だったのか」と、鈍感だが気づいていなかった面をはっきり意識させられた気がする。それはシナリオ(井手敏郎)だけでなく役者たちのリアクションへの演出も関係しているんだろうか。

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