カラックスの『ポーラX』公開時のスタジオ・ボイスインタビュー読み直して、ブニュエル、シャブロル(ついでにリアルに富裕層を知るヴィスコンティ)に対する距離感(当時のカラックスが自らに皮肉屋のセンスはないと認めているのが興味深い)は、アダムのステージとともにたしかに一貫している。カラックスの攻撃性とは違う。さらにフラーに対する敬意は『アネット』のますます無国籍感強まるのと、寄る辺なさとか、全力かわからないのがオモロいのとブレないなあと……(サークへの愛情とはまた異なるか、フラーと清順の世の中に期待していないような近しさはよぎる)。だから感想らしきものをはっきり言い難いのだが。でも感動する(ブニュエル寄りのバーホーベンどころかデュモンや園子温程度の世の中バカにしてるのとはわけが違う敵意)。なんかカラックスの本気ではできない感じ(まあ、成瀬と書いたらツッコまれるにきまってる、すみません)だから焦点絞るキャストもアダム・ドライバーとアネットくらいかもしれず、大半がエキストラ以上、役者未満みたいなものかもしれない。ただその辺の感性が自分は乏しい。でも人生のすれ違いはそんなものなのかもしれない。まあ、僕はいい加減な信念のないことを言い訳がましく後付でこんなところに書くしかできないし、僕なんかがカラックスの話も映画の話もできるわけがないという尊敬すべき知人たちの顔が頭から消えないが、まあ、僕程度がわかった気になれたのは『メルド』以降のおかげだ。

ついでにこれを見終わって忘れていたのを思い出したが、『アネット』のフランス語は最初だけじゃなかった。merde、と出産の時にマリオン・コティヤールが言っていた。他にも言っていたかもしれないが、なぜ見ている間は覚えていたことを見終わると忘れるのか、それをきまって誰かさんから聞いて悔しい思いをするが、そういうのを忘れてまとめると救いのないくだらない感想しかかけなくなるんだろう。

ありがたいことに『教科書にないッ』をいただいた。TSUTAYAで見かけたはずなのに、なんだか躊躇しているうちに、ようやく見た。
映画は楽しかった。大森嘉之って誰か失礼ながらわかってなかったが『釣りバカ日誌スペシャル』で前半の目玉になる酒屋のにいちゃんだった。野呂先生とは違うが、斎藤陽一郎らは森﨑映画に出た若者っぽい。こういう若者たちの演出では群を抜いているんだなと改めて。あとイーストウッドの遅さって、こう活用するんだな、など。ウサギさんの直後の夜のカットで、なんか画面の隅をよぎった謎の動物の魅力。動物好き。