『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』

ラドゥ・ジューデ『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版』を見る。自己検閲≒金。しかし昨日思ったよりも悪酔いし、外が暑かったからか、寝不足が祟って嫌な眠気に襲われ何度か長い瞬きをしてしまう。
ある意味では同じ映画館で上映された『牛久』のことがよぎらなくもない。ここでの醜悪なアレコレは一応は許可なしにありえないことだが、第一部の光景は本当にゲリラなのかどうか。
肝心のホンバンはボカシどころか、ほぼ完全に黄色い画面に覆われて何も見えない。結果マスクを脱いだ女優の顔(つまりフェラチオ場面)もほぼ見えず、第三部の最もハラスメントにあたる集会での醜悪な上映も、ホンバンを映すタブレットが黄色の幕に隠され、マスクした女優を隣に、PTAの小太りなおじさんが興奮している姿がより滑稽にも、更にいやらしい羞恥プレイの想像を掻き立てることにもなるが、AKBとAVの国ニッポンの状況を反映しているのだから仕方ない。とはいえ、これが(小太り役者を使う点も通じる)アルベール・セラの『リベルテ』なら〈自己検閲〉など不可能だろうから、シレッとマスクで覆い尽くすラドゥ・ジューデは既に事態を見越していたかもしれない(彼が独裁政権下の検閲を知らないわけがないしチャウシェスクの名も勿論出てくるが、イスラム圏への不穏当な言及も〈自己検閲〉字幕にはある。また『愛のコリーダ』の日本での扱いも知っているんじゃないか)。
長回しは控えめだが、第一部の女優がただ歩くパンデミック下の街の夕陽の射す画を繋いでいく、自動車トラブルや罵声も相まって『ウイークエンド』のことがよぎって、これだけでも見れてよかった。単にコロナのタイミングだけでなく、微妙な光の変化が見れるかもしれない時間を選んでいる。第三部になって、日が暮れてライトが灯されての集会の半端な明るさや、二番目のエンディングに舞い落ちる木の葉も印象に残る。ところで第三部にて散々言及されるも声だけで姿を見せない子供達だが(二番目のエンディングに何者かの「娘」が出席していたとわかるが)、過激な性教育ともいえる『パート2』はいつか日本でもボカシなしで見れるのか。
パンフレットも何となく買いそびれた。