ミア・ハンセン=ラブ『ベルイマン島にて』。フランス映画のようで、ほぼ英語とスウェーデン語。ベルイマン?バーグマン? 詳しくないからベルイマンの最後の妻がイングリッドという名とは知らず、イングリッド・バーグマンの(フォンがあった?)名が出てきて驚く。そのせいか前半の夫妻別れて(ベルイマン・サファリ)ベルイマン島巡りにはむしろ『イタリア旅行』も連想したが(ティム・ロスのノートには『めまい』の名くらいは確認できた)、ロメールとかアレンとか、その辺の流れの事はともかく、謎のメガネ氏の登場とか、いろいろあれこれ変なこともやってて気持ちのいい映画だった。ティム・ロスの映画が拍手で迎えられているだけでなんかおかしい。ミア・ワシコウスカも映画の調子を変えててよかった。

昨晩こだまさんのおかげで思い出し、早起きして武田一成『お母さんのつうしんぼ』。朝から腕白な子たちの声を見聞きするのは疲れてしまうが、前田米造の撮る食卓の準備から、子供同士の喧嘩も母娘の喧嘩、母の職場の輪転機など見ていて楽しい。『カモン カモン』では録音マイクが出てくるが、武田一成だと『先生のつうしんぼ』の蚕に続いて、こちらも馬やメダカやカダヤシや蛍など動物たちが次々出てきて、ついにはロングショットの小学生の運動に結び付けられる。相米慎二鈴木卓爾の映画にも出てくるが、なぜか人から動物の鳴き声が聞こえるのがいい。前田吟江戸家猫八(クレジットで知る)の声が聞こえてくる授業参観のシーンが不思議と泣かせ、母子の和解では照れ隠しか猫の鳴き真似をする。冒頭の藤田弓子の七変化とか、子役の一人芝居とか、カットバックで見せる演出も面白い。

キリル・セレブレンニコフ『インフル病みのペトロフ家』見たが、ノーコメントというか……。このノーマスクゲホゲホ映画と、いろんな意味でマスク映画の『アンラッキーセックス 自己検閲版』を同じタイミングでかけてるのが、いかにもコロナ以後。『D.A.U.』も見てないし、見る気になれないし、荻野洋一さんはカサヴェテスを思い出したと書いていたが、『ドッグヴィル』じゃないかと嫌な予感しか……。そう言われたら『インフル〜』は『エピデミック』かもしれないが全然別物。『ドンバス』もこれからだが、しんどそうな映画が続く。ゲルマンとスコリモを足して水割りしたような映画? なんかリスキーさに欠けるあたりが『ジョン・ウィック』ぽいんだが、図書館でバトるからか?

『ニトラム』ごく一部から好評なため見たが、思ったよりは面白いが。自分でも、これを見て「思ったよりは面白い」とか「よくできている」くらいしか言う気になれないって、感情麻痺してるなあ、僕のほうが人殺し予備軍みたいじゃないか。映画をたくさん見ても味気ない知ったふうなことしか言う気になれないんだから僕はつまらない人ですね……。なかなか、『ジュリアン』のコリンの人物らしい雰囲気もなくはないし、あの格好で葬式に出してくれたら救われたのにとか、でもそうなるには浮いていたということか。ハリウッド帰りに何もそんなことをしなくても、なんてワイドショー見てるような感想だが。しかし売上欲しいからか、あんな免許ない人に銃を販売するような店のあり方が許されてしまう状況が何よりの引き金だな、という感想も最近ワイドショーを見ながら思うが。ジェニファー・ケントの名前があった。

高橋洋監督・監修『同志アナスタシア』をYoutubeで見る。こんなご時世だろうがお構いなし(だからこそ、か?)高橋洋の「ヒロシヴィッチ」はブレない。本作や『霊的ボリシェヴィキ』を『インフル病み〜』とか『D.A.U.』の監督とか見たらどう思うのか僕みたいな凡人には謎だが、単に大人のやり取りに終始するか。第四の壁をぶち破って観客と対峙するか、朝焼けの海辺に入るかという選択に森崎東の映画が宿り、それがスクリーンを介しての体験となるあたりに大和屋竺も避けられないが、そんな迷宮を相変わらずキノハウス地下一階から一歩も出ずに作り上げる。高橋洋の映画なら出来て当然驚きはないかもしれないが、これだって氏の脚本なしに引き継げる人はどこにもいないだろう。これぞ深淵か? 仰角のショットでパンしながら酒場らしい空間をでっちあげる。また今回も合成写真や日系人、死者の瞳というモチーフが監修クレジットの第一部から出てくる。

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