『せかいのおきく』『独裁者たちのとき』『アルマゲドン・タイム』『それでも私は生きていく』

阪本順治監督話題のウンコ映画『せかいのおきく』を見る。
先日自分という人間にはつくづく「せ」とつくものが欠けていると思ったが、なんとこの映画も「せかい」を始め、真木蔵人が「せ」のことでウンウン堂々巡りしていて大変感動した。もう声の出ない黒木華と子供たちがいる場というのが、さらに良い。この坊さん役は殿山泰司田中小実昌の系譜にいるかもしれない。

問題作『弟とアンドロイドと僕』でも自転車に乗ってカーブを回るヘンテコなスローのカットがあるけど、本作のラストカットもそれまでの立派さに比べて相当な変化球だが、いや、この外し方が「せ」のつく台詞や主題とも合ってて、そこにも感動した。
黒木華の肌の色が忘れられないが、糞まみれの似合う池松壮亮も素晴らしい(バッタ男の次はハエ男か、と失礼な言葉もよぎったが)。

ロバ映画やウンコ映画のおかげで何となく霞んだソクーロフの『独裁者たちのとき』。
前年の映画祭にて見逃した時は結構悔しかったが、人の感想を読んで漠然と想像した時からあまり変わらず……というか、ソクーロフはやっぱり眠くなる。笑えて眠くなる映画というのは珍しい。
邦題に「とき」は付いているが、あの時間が停まった世界をさまようような、いつ終わるかわからない苦痛はある。それでも90分に満たないから、まあ、気がついたら呆気なく終わる。
フェアリーテイル』という題のほうがふざけている感じがして好き。いっそ邦題は『ソクーロフの地獄』でもいいか?

 

ジェームズ・グレイアルマゲドン・タイム』。
タイトルからまた宇宙へ行くのかと思いきや、あながちハズレでもなく。
シュガーヒル・ギャングも出てくるし、『アポロ 10 1/2』のことも思い出して、なんかリンクレイター意識してるのか?となったが、最終的にやはり「夜」の話になる。同時にタイトルの指す意味が(たぶん)祖父からの最後の話と、友人との別れというあたりが、なんだかこの監督らしい。
転校して『フェイブルマンズ』みたいなことになるかと既視感覚えるも、微妙に信用できないクラスメイトとの付き合いやら距離感・緊張感があって、そこが良かった。冒頭の教師が「俺には背中に目がある」と言いながら思い切り偏見で外すあたりなど、またこの監督の犯罪映画が見たくはなるが。
にしても、ニューヨークの地下鉄がやはり怖いので、子供だけで行って大丈夫か?
小屋の前に家出した友人の姿はなく、彼のことを呼びながら落ちていたステッカーを拾うだけの俯瞰からのアップ、てっきりこれが彼との別れと思い、その呆気なさが泣かせるのだが、その余韻に浸る間もなく、流れるようにアンソニー・ホプキンスとのロケットのくだりへ持っていき、アン・ハサウェイを運転席の窓越しに見るショット、一つ一つがせつない。
そしてジャングルやら宇宙やら経ての、屋内での呼吸音や、過去の声が響いてきたりと、やたら音響が奥深いというか。地味だが妄想パートが可愛らしいのにクスリとくる。捕まる前にちょっと夢見るのとか、なんだか良い。

 

ミア・ハンセン=ラブ『それでも私は生きていく』。タイトルを受付で思い出せず不安になる。
そしてメルヴィル・プポーの顔も記憶と一致せず不安は増す。
いや、記憶よりもオッサンくさいプポーも良かった。
もちろん映画も良かった。
私小説みたいな映画(または「内向の世代」か?ホントに?)とか言ったら怒られそうだが、最近周囲の年の近い、もしくは年下の映画の中で、まあまあ評価されてるのは、なんだかそんな映画ばかりな気がしてモヤモヤするのだが。まあ、そのモヤモヤの正体は「こういうの見たくて(作りたくて)、映画見始めた(撮り始めた)のかなあ」ということだが。まさに映画監督というより映画作家なんだなあと。
だからといってアクション映画とかホラー映画とかジャンルの約束を守ったり、外したりに一喜一憂している気にもなれず。
ミア・ハンセン=ラブの映画から話は逸れたが、私小説みたいな映画も(ってどんなのと詰められたら逃げるが)、それが相応しい監督なら全然見れる。「映画も人なり」というやつか。トリュフォー以降の伝統とかいうのは雑な印象だが。
森崎東じゃないが「ボケちゃったほうが幸せなのよ」と言いたくなる光景を前にして、でも残された側は不意に見てられなくなる辛さに襲われるのだろうという終盤が切ない。