『ペナルティループ』(脚本・監督:荒木伸二)

前作『人数の町』は蓮實重彦がコメント寄せていたから気になって見た(安易な動機で申し訳ないです)。『人数の町』はなかなか面白かったけれどラストがどうなったか思い出せない。ただスッキリしない終わりだったように思う。
『ペナルティループ』もかなり面白く見ていたのに、これまたどうにもスッキリしない終わらせ方をしていた。別に嫌な気持ちになる終わりでもなく、どうにもできないが日々生きていくのだろうということなんだろうと思うことにしたが、自分の解釈はともかく、そうした謎めいているわけでもないが曖昧な結末を用意するあたり「日本的」とか評されたりするんだろうか。
アメリカ映画のループなら最近だと『ドミノ』(ロバート・ロドリゲス)があるが、これはネタバレ第一段階みたいなもので、その後も二転三転捻りがあった(未見の方には申し訳ないです)。『コンテニュー』(ジョー・カーナハン)なんかゲーム世界の話みたいに繰り返しつつ足搔きながら最終的に人生を一歩進めるみたいな展開で、なかなか感動した。もう10年以上前になる『ミッション:8ミニッツ』にしろ詳細は忘れたが、やはり一発逆転あり見事だったように思う。
そのあたりの映画を『ペナルティループ』は勿論おさえている上で、ああなったのだろうが。だいたいループものの映画を見る前にどれだけそういう展開だと知ってるか。『ドミノ』は知らせていない例外だが、わりと観客として知った前提で見ている気がする。『ペナルティループ』はこのあたりが上手くて、その展開を知らされたところで驚きがあるわけではない要素を見せていくうちに大した説明をしないまま想定外へ転ばせる。繰り返される現在の合間にフラッシュバックを挟んでいくあたりは順当な語り方なんだろうが、そもそもの発端が要するに主人公には対処不能な外部に突き当たり(「外側で何が起きているのか関知していませんので」という台詞もある)、劇中に頻出する黒味の挟み方や、終盤の後ろ歩き、背中、振り向く行為(『オルフェ』の引用か)などループというより逆行しようとしつつ、それもできない。単に捻りが足りないだけかもしれないが……。偶然にも『フォロウィング』の予告が上映前に流れていたけれど、クリストファー・ノーランの名前を出すのは誤解を呼びそうだが、それでも物語が夢や過去との行き来をすることで、いまいち前進できてるかわからない結末になるあたり同じ轍を踏んでるんじゃないか。ただそのほうが才気ある作品として見えるのかもしれないが……(前作に続き宇野維正が書いてて何だか納得した)。そこであえて「実は抜け出せてないかも」みたいな終わりにはしない分、マシということか。
あのボートの登場は『セリーヌとジュリーは舟でゆく』のことは意識してるだろうし、最近のセザール賞スピーチにてジュディット・ゴドレーシュも引用した言葉がいっそ終盤にはっきり出てきたら意外とグッと来たかもしれないが、そういうことはしない低体温の映画だった。