『トリとロキタ』『京極真珠』『ダークグラス』『ノック 終末の訪問者』

ダルデンヌ兄弟の新作くらいは今を生きる人間の務めとして見なくてはと『トリとロキタ』。
そしてやはり呆気ないまでに簡潔な結末。
自分の感受性のなさに絶句するほど、なにかボンヤリ見てしまったのも事実だが。反芻したり、人の感想を読んだりして、そこにあるキツさを思い知り、改めて自分の感性のなさを思い知る。
性的暴力をあくまで画面外にすること自体は真っ当であって特に批判したいわけでもない。
まあ『山椒大夫』の名前を出したくなるのもわかるが、とはいえ弟の役割が飛躍するわけでもない。つまり弟の役割がある場面ごとにオフにされるあたりに良心と物足りなさがせめぎ合うのも事実だ。別にサディスティックなものが見たいわけでもないが。最後に歌わせるのも悪くないが。

 

いつか見れるだろうと思いながらの、ようやく佐藤訪米監督『京極真珠』。
あの真珠丸って薬は何なのかも知らないまま見終える。五条のあたりはさすがに京都観光で行ったことあるが、そのあたりにある建物を本当に使っての事実あのままの立地らしい。上映後に東映京都のスタッフが関わってるという話をされていて、撮影の清水洋策はテレビドラマデータベース検索したら『太閤記』の撮影助手やら『遠山の金さん』やら出てきた。編集の藤原公司田中徳三やら山下耕作やら作品をやっていた。撮影開始から3ヶ月くらいで仕上げられたらしいが、そのあたりが本作の無謀さよりも不思議と引き締まった仕上がりに関係しているかもしれない。
そんな話を聞きつつ、肝心の映画そのものは見事なのに、なんとも言葉にしづらい。葉月蛍の美しさはじめ主演女優二人が(だけじゃなく虚無僧の男含め)奇妙な腹の痛みか苦悶する姿が印象に残る。同時に女優二人が激しく絡み合い始めるかと思いきやぶった切って次へ移るのが、かえって生々しさに耽溺しない距離感みたいなものもある。インディアンのように鏡による反射で何か発信してるのを虚無僧が受け取ってしまうのが面白い。

 

もうどんなダメな映画撮ってもオッケーな領域に達した貫禄のダリオ・アルジェントの新作『ダークグラス』を見る。これがさすがというか予想外に素晴らしいと言うべきか。冒頭の日蝕から奇妙なんだが、もう誰が殺人犯だろうが関係なく闇は訪れ、夜道に白いバンが現れ、殺人は起きる。手びきをしてくれるだろう盲導犬はどこへ? 子供も頼りになるかと思いきや、彼女を結局は振り回すだけに過ぎない。それにしても星空のもと彼女がさまよう恐ろしくも童心に帰るような(『狩人の夜』は言い過ぎか?)光景が感動的なのは、本作が情でもドラマでもなく、映画とは夜の森へ入ったり、茂みの中へ隠れたり、逃げたはずが迷い込んだり、そんな過ちか戯れかもわからないあれこれの連なりだからか。いつになくさっぱりした佇まいのアーシアもよかった。

 

勢いでシャマランの新作『ノック 終末の訪問者』も見る。一晩に二本もヒッチコックの影響は否定できないが洗練と無縁の監督の新作を見てしまった。これはどう受け止めようかとダルデンヌ兄弟に続き悩むというか、もうそういうどんでん返しも意外な活路も期待せずにいるしかない世なのか。どんな理不尽が襲おうが全てそれぞれに生きた証はあると朝ドラのディーンフジオカのセリフと同じ映画。しかしこっちがいかにシリアスになろうと、ある意味で嘲笑うというか、たかが映画ですよと言わんばかりのシャマラン登場シーンのこれまでで一番のくだらなさを思い出しては脱力する。