『くせのようなもの』(2020)『ハル、さるく』(2021)佐伯美波監督作品上映会@キノコヤ


佐伯美波監督作品上映会@キノコヤにて『くせのようなもの』(2020)『ハル、さるく』(2021)の二本を見る。
『くせのようなもの』は撮影現場の合間に助監督から自作の脚本の相談を受けた監督が、遠方に見える今は使われていなそうなバス停に座って佇む老婆について、「ああいう光景ひとつ決めてイメージしてドラマを膨らませればいいんだ」と、その背景を勝手に想像して語っていると、意外な展開に。たしかにいかにもコント的なネタかもしれないが、その意外性が本作の脚本で想定していた範囲を実際に越えて諸々の偶然を呼び起こしていること、そのために少人数スタッフ・キャスト・時間による(監督自身も話されていたように)「賭け」がなされているというのが面白い。実際ここで起きた事をすべて事前に準備するなら車止めのスタッフはじめ、もっと多くの人員を必要としただろうが(実際クレジット通り監督・キャスト・スタッフ合わせて四名のみらしい)、そうしたらこの面白さは出なかっただろう。役者二名の掛け合いに遠方のバス停を一つの画面に収めたワンショット・ワンシーンのみという制約、監督自身の出身地ではあるが役者二名とは無縁の佐世保という地を選んだ事も含めて、事前準備の必要と、手探りの曖昧な感覚の二つでもって、単なる「お約束」としてのオチを解体するような風通しの良さを目指している点がいい。
『くせのようなもの』の光景を最初に見た瞬間に「天竜区で撮ったのか?」とよぎった(終盤に長崎ロケであることがわかる笑ってしまう展開は起きる)。役者の監督作だからといって、かつて出演した映画の監督と結びつけてしまうのは喜ばれない連想かもしれないが、どうも手前の車道と奥の棚田、『夏の娘たち』でも印象深いバス停まで見えて、いろいろとよぎる。
『くせのようなもの』に劣らず奇妙なタイトルの『ハル、さるく』だが「さるく」とは長崎の方言で「ぶらぶら歩く」といった意味と知る。「くらすぞ」という台詞も出てくる。帰省しても実家にはすぐ戻らず、亡くなった祖父母の家を訪れるハル。そこへ何の偶然か、ペーパードライバーだというハーフの男(演じる米川幸リオンは脚本にもクレジットされていて、小森はるか・瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』の話者の一人)が運転する水色のトラックに乗る羽目になり(車のドアが開く際のぎくしゃくしたスムーズにいかない動きがおかしく『くせのようなもの』に通じる余白を感じる)、棚田の見える春日のキリシタン集落へ連れられる。トラックのエンジン音がやたら騒々しく耳に残るのだが、その集落を走るカットの長崎特有のものなのか、秋の山の独特の色合いも含めて、時おり違う国へワープしたかのような奇妙さがある。彼の籠ろうとした祖父母の家から外へ出ていく景色として不思議な魅力がある。登場人物の故郷でもありながら、異国でもあるという、記憶や印象と結びつけられそうで、あくまで見慣れない色合いとしても目に残る。それを『静かなる男』のイニスフリーを見た時とか、『憐』の男女が一緒に自転車に乗って通りかかった人たちに挨拶していく時など、見慣れた通学路のような、初めて見る景色のような愛おしく感動的な曖昧さをわずかに思い出した気がするなどいくらでも言えるかもしれないが、堀禎一監督の映画と勝手に繋げるようなことはこれくらいにしておく。米川幸リオンの口から春日集落の歴史について語る言葉は出てきて、『くせのようなもの』の風景が人物のイメージと関係なくもあろうとする時よりも、直にこの肌寒い空気へ触れるようでもあり、それは彼が訪れる以前の、まだ誰もいない祖父母の家から本作が始まったこととも(そして『くせのようなもの』の主要人物二人よりも空間こそ中心であったような印象とも)繋がるのではないか。
また『くせのようなもの』が遠景の映画なら、『ハル、さるく』は扉の映画だった。閉ざされた扉の内と外の行き来は完全に塞がってはいないが、誰もが好き勝手に通れるわけではなく、最終的には彼自身の手によって開かれる必要がある。終盤に走り出し遠のいていくハルを見送る場面に心動かされた後、まだ自分にはその扉の奥にいる彼を容易に見れると思ってはいけないし、そうした姿勢は『くせのようなもの』からも通じている。終盤の舞台になる野球場ではカメラだけは(そして記憶の中の姿を見せない祖父の視点を借りるかのように)扉の境界を跨いで、客席に留まっている二人を見上げることになる。あの煙草さえ本当に吸えたことのない謎の男がグラウンドに立てる日は来るのか? 佐伯美波自身が出てくるシーンでは、繋ぎ間違いのように「甘くない蜜柑」についての台詞がカットを割って二回繰り返されるが、そこでのハルの二通りだったかもしれない「甘くないならいらない」もしくは「うん、まあ」といった返しを経て、そのハルの口にした蜜柑の味も自分にはわからないまま、しかしそれを何となく想像するぐらいは許される。ただ彼と共に走って見送れたようで、そこで彼の過去から未来まで想像できるわけもないが、この肌寒さにだけは付き合えた気になれる。

 

 

次回上映は4/17(月)19時~
[料金]800円 [予約]Peatixまたはメール kinokoya96@gmail.com までお名前、予約の人数、日付をお送りください。

https://minami417.peatix.com/

(↑予約サイト、監督による作品の解説も掲載)