・国アカにて沖山秀子脚本・監督『グレープフルーツのような女』。序盤の雪山でのパンから何を見せられているんだと困惑するが、だんだんとヘンテコなエロ映画というより、役者の監督作として興味深くなってくる。彼が海外へ立つことが決まって、一人で我慢ならなくなってからがいい。手紙を読み終わっての独り言とかわざとらしいのだがたまらない。望まない暴力的なセックスをさせられるヒロインの眼つきなどリアクションが生々しい。ライブ終わりの飲み会でしつこく彼を口説こうとするバンギャル(?)とか騒々しい。結末が意外と爽やか。
続けて見た珠瑠美『熟女スワップ若妻レズ』は題名通りのパートナー交換モノで熟女と若妻の二刀流みたいな紛れもない怪作で、沖山秀子の記憶がだいぶ薄れた。かなり頻繁にシェーンベルクらしき音楽が流れ(教養ないから音楽の確信もてず)まさしく不協和音というか、特に序盤の唐突に自分語りを珠瑠美が始めてトラックインしだすタイミングで流れるとストローブ=ユイレか?とツッコミたくなるくらいバカバカしい(撮影は『愛のコリーダ』など伊東英男)。部屋住みさせてる元バニーガールから逢引している恋人を奪う場面での、画面奥のベッドで行為に励む二人に対して後ろ姿のままの珠瑠美が衣類を脱いでいくのに合わせて盛大に不協和音が奏でられ、さらに珠瑠美をフルサイズで横から捉えたカットから彼女が背後のソファへ後退する歩みに合わせての横移動が妙に印象深くて、それから彼へ向かって「いらっしゃい」と股を開いて誘惑のポーズをとるアップも相当力強い。そこから不意にコマが飛んで、なぜだか様々な展開に???マークが脳裏を飛びまくるうちに、4P中のヒロイン二人の接吻直後にエンドマーク。エラいもの見た。

 

・国アカにて『よみがえれカレーズ』(熊谷博子、土本典昭、アブドゥル・ラティーフ)と『映画をつくる女性たち』(熊谷博子)。
『よみがえれカレーズ』は『パルチザン前史』より踏み込んだ戦闘訓練のシーンがあって、少年に「銃が弓で、弾が矢と思え」と伝えながら狙撃訓練をするところなど「ここまで撮るか」と驚く。また難民たちが遠景から歩いてくるカットも「こんな画が撮れたのか」という興奮がある。意外と見ていて楽しい農耕、牧畜、工作の場面も多く、藁をまとめて驢馬に乗せる画なんか、こんなに藁というのは身体全体をまるめて大きな量を束ねて、それを驢馬の3倍くらいありそうな大きさで乗せるのかと面白い。また祈りの仕草が身体を何度も揺らすリズムは画に無意味なようでたくさんの動きを入れる。同時に性差の問題は避けられないが、問われはしても答えは一面的には描かれない。そんなフワフワ見ていると不意にショッキングな爆殺された死体と、そのちぎれた手をシートの下にしまうカットに(いまだやまないパレスチナでの虐殺を伝える動画が流れる今でも)動揺し、周りの警官らのカメラを向けられても目をこちらに向けたくないといった顔が印象に残る。
熊谷博子の『映画をつくる女たち』に自作の話として『よみがえれカレーズ』は出てきても(協力に土本の名はあっても)土本に対する言及はない。『映画をつくる女たち』は羽田澄子の「感じた人が動かなければいけない」といった言葉が忘れがたい。宮城まり子の映画はかなり濃さそうで見るのが怖い。『挑戦』(「東洋の魔女」のドキュメンタリー)の渋谷昶子が現場で受けたスタッフからの苛めに近い扱いは酷い話だが、一方で「そうしたスタッフたちも撮っている彼女たちを見るうちに変わる」「嫌なことだらけだが洗濯などして気を晴らすしかない」といった話をする姿には作家としての毅然とした強さが伝わる。『黒い雨』の製作、飯野久の「約束手形」を切る話もかなり面白かった。