ジョージ・ミラー『アラビアンナイト 三千年の願い』

予告ではテリー・ギリアムの映画みたいと勘違いして興味わかなかったが、ティルダ・スウィントンの主演作としてアピチャッポン『メモリア』見たのか?というくらい彼女の佇まいや、そもそもやたら低音が効いているあたりに感じる。しかし個人的には『メモリア』よりずっと好きな、感動的な映画だった。素直に好きというには、あまりに奇妙な映画かもしれないが。もちろんイドリス・エルバも良い。この二人の愛の映画なら外れはないだろう。原作者A.S.バイアットの小説を全然読んだことないが興味惹かれた。美術のロジャー・フォードが『ベイブ』だけでなく性悪『ピーターラビット』もやっているのに何か納得した。

前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(Fury Road)に続き、本作も「籠の中の鳥たち」としてイドリス・エルバがこれまで願いを叶えてきた三人の女性を振り返る、つまり閉じ込められた女達の物語であるが、その失礼ながら見た記憶のなかった三者、もし次にどこかで見ても忘れているかもしれないが、その見慣れない顔の存在もよかった。

そしてティルダ・スウィントンがホテルの洗面所にてイドリス・エルバを初めて目覚めさせてしまうときに、まず目に入るのは巨大な手指が扉からはみだしている光景で、その音の不気味さは彼女を画面の中心にして「3つ数えたら消えて」と声をかけ数えるショットになっても、画面外の不気味な声は消えない(やはりノイズが強烈な映画だ)。ありきたりな映画なら彼女とジンの高低差でも強調するような仰角の主観など入れそうだが、この場面には一切ない(ジョージ・ミラー未見の映画あるがおそらく高低差の演出そのものには関心あるはずであり、本作にも見られる)。ここでティルダ・スウィントンを収めるときはミディアムもしくはバストショットであって、その眼鏡をはずし髪をタオルでまとめたバスローブ姿の湿り気ある姿で、さらに「4,5,6.....」と数える姿に引き込まれる。その後にティルダ・スウィントンの(天井を抜いた)ロングの俯瞰から割ることなく、巨大な黒いウミウシか何かのようにも見えるジンのイドリス・エルバの手指がパソコンをかざす、まるでイドリス・エルバを挟んでミニチュアを繋げたような不思議なショットになる。縦の構図でイドリス・エルバティルダ・スウィントンがいるときの縮尺の狂った、手前と奥で2つの空間が合わさった歪みを見るような画からして面白い。

一方便利なことに肉体を人間サイズへ戻したイドリス・エルバが過去を語り始めてから、窓の外から見える港の輝く光景が全く音は入ってこず夢のようでもあるが(どこまでも外気の入ってきそうにない)、その不思議さも「籠の中の鳥」についての本作の主題とともに印象深い。

三千年の時も空港のX線検査で消滅してしまうのかという場面の緊張感。一方でわりと終盤に何度か暗転するたびに「ここで終わり…もありか」なんて思うとまた続く。通常イライラしそうだが、これまたこの時間経過もいいんじゃないかというくらい、やはり108分だから決して長い映画とも思わせない。それでも意外と呆気ない結末の朗らかさ。