国立映画アーカイブにて『眞人間』(監督:伊奈精一)『野口英世の少年時代』(監督:関川秀雄)。
『眞人間』はラング『真人間』の翻案のはずが、しかも50分と短いのに随分と間延びした展開で猛烈に眠くなる。ラング版クライマックスのヒロインが泥棒達に講義とか元の面白い要素なんか一切無く、単に更生するだけの映画だから完全な別物。撮影は岡崎宏三。
野口英世の少年時代』は良かった。少年たちが全員いい顔している。人物の歩くカットが随所に挟まれて、そこでは野口英世(清作)一人ではなく母や友人を大抵伴っている。終始記憶力のよくない友人がいいヤツで、金がなく教科書を用意できなかった隣席の清作とシェアする。過去に彼をいじめた同級生が、清作の手術の結果を伝えるため病院から一人走り続けるカットをつなげていくのにグッとくる。

恵比寿にて『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を見て、劇場売店にて「青山真治クロニクルズ」「アンフィニッシュドワークス」を購入。北千住にて『殺しの烙印』を見る。
『エリ・エリ〜』の自殺する浅野忠信の恋人(エリカ)に、今更オマージュを捧げたり引用したりしているわけもないレベルで死に取り憑かれた真理アンヌとのことなんか思い出していたのだが、「クロニクルズ」にて三宅唱監督が『やさしい女』の名前を出していて、そっちだよなあと相変わらず自分の勘の鈍さに嫌になる。そういえば杉山彦々のバーにて戸田昌宏が誘惑してきた女を殴るのだが、その瞬間はオフにされて、ただ倒れている彼女の隣で椅子が転がるカットにつなぐけれど、ここも『やさしい女』の飛び降り自殺に近い。自殺の瞬間、決定的な場面にカメラは立ち会えないという話を廣瀬純氏が『やさしい女』の講演で話していたことを覚えているが、『エリ・エリ〜』もたしかに死の瞬間自体は画面外になり、その出来事は音で響く映画なんだなと今更。それは凄く普通のことなのかもしれないが。
「クロニクルズ」の廣瀬純「普通の映画を作ること」は「一秒間に24コマの真実あるいは死」というゴダールの言葉にちなんだ青山真治の「二十四回の画と二十四回の黒、つまりこれが映画だ」「コマとコマの閾となる黒いライン」というワードを用いて、あえてゴダールはもちろん清順、ペキンパーといった名前を一度も出さずに書いていて、ものすごく読むのに時間はかかったが、そうしなければいけない批評だった。
定期的に行きたくなるデカいスクリーンと真っ暗な空間、そして終映後の明かりが点く時の怖いくらいチカチカする遅さなどがいいブルースタジオでの『殺しの烙印』は最初の日活マークから傷が入っていて、コマが飛ぶたびに、やはり「黒」を見ているのかもしれないという気になる。鈴木清順については、この映画だけじゃなく何も言葉にできる気がしない。久々に映画館で見る『殺しの烙印』は扉を開けて全裸の小川真理子が出てくるかと思いきやコマが飛んで黒い布を手に大事なところを隠したポーズになっているというのがヤバかった。ワンカットと思うものさえコマが飛んで2カットになる。

新宿ピカデリーでは21時30分〜22時くらいから開始の映画があると漠然と知ってはいたが、今日まであまり使ってこなかった。ただ頭がボンヤリしているからだ。だが(そろそろ異動になりそうな)今になってようやくこの時間帯に仕事終わりに映画を見るのは非常にいいかもしれないと気づいた。頭がボンヤリしているから、どんな映画を見てもダラダラやる気なく残業してるよりはマシというか優雅な気分になれる。もっと早くこうしておけばよかったのだが、それを思いつけないのは自分の情熱の低さと計画性のなさなどいろいろあるだろう。
それはそうとソダーバーグの『マジック・マイク ラストダンス』は本当に最高だった。まだ3本しか見れていないジェラルド・ダミアーノをボカシつきでも見れたときの爛れた喜びを思い出すというと誤解を呼びそうだが(『ラストダンス』はもっと素直に華やかだ)、過去の『マジック・マイク』をダラダラ見逃してきた自分を引っ叩きたくなったが、続編だろうが最終章だろうがシンなんとかも関係なく、映画だろうが何だろうが、遅れてしまったかもしれないがこういう出会いを求めてたんだよ!と自分も負けずに声を上げたくなる。たぶん家で見ても全然盛り上がらないだろうから、滑り込みで最終日に見て正解だった。チャニング・テイタムは勿論、サルマ・ハエックも一々グッとくるが、肝心の舞台はお預けと秘書から目隠しされながらほとんど音しか聞かせてもらえない娘の一貫してクールなモノローグまで最高である(奇遇にも『エリ・エリ〜』の宮崎あおいと通じ合うか?)。そして普段は余計なフラッシュバックさえ、雨に打たれながらのダンスではこみ上げて涙が出た。ラストとか言わずにまだまだ踊り続けてください!