アダルトサイトにアップされているので注意ですが。ジャン=クロード・ルソー『Le Tombeau de Kafka』(カフカの墓)。同志社でのルソー上映会にて見逃した新作の感想を知人が「学生が撮ったら講師から叱られそうなくらい凄い」と言っていた覚えがあるが、それはこれではないだろうけれど、ようやくそのレベルに間違いないのが見れた。スマホで撮ったのか? あの醜くマイナスにしかなりそうにない機能すべてが、壊れかけの機械をあえて使い続けるような、フィルムの手つきのような粗さがあって、たぶん他の誰も到達しようと思わないだろう、あの光の加減で黒板にも暗幕にも変わるカーテンの色彩なんか、ほぼ直感か? 序盤の不思議な暗転が妙に愛しいし、音楽の使い方もなぜいやらしくならないのか。ルソーはマーヴェリックより凄い。メリエスの映画でも見るようなワープに暗転が挟まれ、帽子と読書の合間に、蜂や馬が出てくる。

渡辺謙作監督・脚本『はい、泳げません』を見た。冒頭のアレがクソに見えるくらい気持ち悪かったが。でもこれは泣いた。清順組、デ・パルマからのトラウマケア映画というか……。とにかく綾瀬はるかがよかった。美容師の阿部純子もよかった。彼女と長谷川博己の出会うきっかけが特になくて、彼のヘアスタイルが垢抜けているというだけなのが面白い。長谷川博己は好きになれないのに『半世界』の時から、この人だけはどうか幸せになってほしいといつの間にか願ってしまう(そして『散歩する侵略者』のように、またしても二度死ぬのだった)。講義場面に協力した学者のカメオ出演も笑った。折り返し地点くらいの動物の活躍もなんだか可愛かった。それにしても見ている間は物凄く感動したはずだったが、今は書こうとすると、どうにも冷めた調子になり悲しい。

『シン・ウルトラマン』も本当に思ったよりは面白かった。期待値を下げれば下げるほど、特に何も求めないほど楽しめる映画かもしれない(いや、それはこの世のほぼすべての出来事がそうなのかもしれないが)。何より冒頭がよかった。斎藤工もよかったと思う。屋上で目覚めて終わりがいくらなんでも呆気なさすぎるけれど。ひっかかるところはたくさんある。冒頭の斎藤工がまだ人間だったなら、変化してからの違和感に初対面の長澤まさみ以外誰も触れないのはどうなんだとか。まあ、斎藤工なら普段からおかしな人でも納得はしてしまうが……。斎藤工の亡骸を斎藤工が見下ろしている山林とか嫌いじゃない。

国アカには行けず久しぶりの『Helpless』を見に柏へ行った。あの始まりも、いまだとマイケル・スノウ『中央地帯』を見たような気分だった(だが微妙にコマが飛んでいたが、それもよかったことにする)。もちろん引用だとかネタ元の話ではなく。『中央地帯』や『←→』にこんな塩梅の蛇行というか危険運転というか振子の動きはなかった。または吊るされた状態を想像する。ヘリから吊るす、『スカーフェイス』や石井輝男の『私刑!』じゃないが……。それと『エリ、エリ~』では浅野忠信がホースを振り回して出す音も(それを壊れた扇風機に固定してハーモニーになる)、『Helpless』冒頭の黒画面から既に聞こえてくる。『東京公園』でも榮倉奈々のおかげで三浦春馬井川遥の公園めぐりを高橋洋に、手で円を描いて伝えていた(でも渋谷の『北の橋』は見直さなかった)。番組企画の人気投票一位じゃないからと完結までテレビ放映してくれなかった『メタロー』やタルトタタンのMV『しょうがないマイラブ』でも球体が出てくる。同時に重要なのが金魚鉢が出てくると光を投射するように、球体には球体の動きがあって、真っ先に『人情紙風船』の水平の動き、『驟雨』ラストの夫婦が互いに力をぶつけ合って、その力を打ち消しながらも行き交う紙風船もよぎるが……ともかくボールなんかだと数える気が失せるほど映像に記録されてきただろうけど、でも正確には三浦春馬が描いたのは円ではなく渦巻(それはアンモナイトを指すらしい)であって、ホースを回して音を出す、画面には映されないが想像できる行為も円を描く、渦を巻く運動に変わりない。渦は点と点を結んで円を完結させるのではなく、飛ぶ可能性を持ち、それが空撮や扇風機や埼玉のIKEAに結び付く?というのも、ここで書き飛ばしては所詮、自分は早漏野郎かもしれない。『Helpless』には諏訪太郎のぶん殴られる禿げ頭と金属バットがあったが、そんな今更なことを書いてもしょうがない。

『東京公園』を見直した時に三浦春馬榮倉奈々に「死ね」というところ(その榮倉奈々浅野忠信に「きさんくらわすぞ」と言われた斎藤陽一郎に連なるウザい絡みといえるかもしれないけれど)は、別に傷つくほどでもないけれど、おそらく確信犯的なものだが、それが正面からのカットバックだから当事者間こそのヌルい「死」が軽さを失って居心地悪い。ある種の、もう「その後」ではないというか、この口にするにしろ耳にするにしろ居心地悪さは生きている限りは到底避けられない、という感覚。『最上のプロポーズ』では斎藤工の口から、死を口にしたことをいつか後悔する、といった怒りが吹き出す。こんなことをポンポン書いている自分はやはり軽はずみなままだが。自分のことにしろ、他人への陰口にしろ、まあ、軽々しく「死」を言葉にするもので、誰かが亡くなった時にあれこれ実際に会っての思い出が大してない時ほど言いたくなってしまうのも、死の話をしたくなる悪ノリが否定できずある気はする。そして言ったことを冷ややかな目で見られて後悔するが遅い。