書きそびれたというより黒川幸則さんご本人に確かめて言うべきかもしれないと思い、何となく書かないままにしてしまったが、ピンク映画デビュー作の『淫乱生保の女 肉体勧誘』が97年、その後は脚本作がJMDB見ただけで何本かあるけれど、おそらく次作の『感染病棟』『夜の語学教室』の2009年まで12年もブランクがある(この長編二作の間の12年はケリー・ライカートの『リバー・オブ・グラス』[94年]『オールド・ジョイ』[06年]と同じだ)。続く2010年の『ある歯科医の異常な愛』と三本の良いかどうかよりなかなか面白おかしい映画から(そのスタイルのさらに歪な変化も言えるのか)、あの『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』の公開まで6年間再び期間が空いてしまうが、なんだかんだ『にわのすなば』も6年ぶりの長編にあたるんだなあ、と思いつつ、短編やドキュメンタリーのこともあって(というより、この間にキノコヤにいけば個人的にお会いできる機会はありまして)久々という感じが薄れてしまっているが、もっとこの辺は突き詰めて考えるべきだったのか? でもしっかりと書き直す時間は(少なくとも公開までは)ないと思う。黒川幸則監督の六年ごとの映画は、その時々の何か(黒川さんご本人の現状に留まらないことか?)があるかもしれない。でもこの6年周期のことについて書いた方が、よほど批評になったと思う。自分の頭はいつも働きが鈍い。

クリスティアン・ペッツォルト『死んだ男』せっかく見たのに、おそらく肝心なところほど寝てしまう。こういう映画をバッチリ意識集中してアレコレ鋭いこと言える人になれば見直されるかもしれないが、どうせどうあっても負けてしまう。とにかく謎の女に見た目は冴えない男が引っ掛かって皆不幸になる話かと思い込んでいたから、終盤はかなりびっくり。ウトウトしていたせいで『ベッドとソファ』や『アタラント号』のちらつく話もあったように見間違えたが、上映後の質疑応答はむしろビリー・ワイルダーや『めまい』の話や、写真が出てくるのはヘルムート・コイトナーの映画だったりハズシっぱなし。

『チケット・トゥ・パラダイス』かなりウトウトというかボンヤリ見た。悪いものではないと言っても、まあ、かなり緩い、これはこれでパシフィクション映画だが、最後で不覚にもグッときてしまう。そういうユルユルだけど何かいいもん見たって映画は映画祭にはない。いや、別に優先して見る必要は一切ないが。

『エルピス』『仮面ライダー』『チェンソーマン』をそれぞれ一話だけ見てから、やはり見逃したままではいけないと思い、青山真治監督『贖罪の奏鳴曲』を今更ながら完走。大昔の知人の名前をクレジットに確認したが、どこにいたかは不明。第一話、二話と引き込まれ、第三話の川瀬陽太の憎たらしさ、なぜかわからないが酷いことであっても泣けて仕方ない少年時代の回想(こういう感じはたまにあるが何なのか)、展開の早い法廷!と来て、最終話での演劇での活動がこうして発揮されるのかと、三上博史とよた真帆の既に何回かかわされていたはずの対話がなぜかよくわからないがテレビドラマとか映画とかの枠も超えて胸に迫る。しかもその危うさが、特に終始いろんな意味で水と油な組み合わせな(そこがいい)リリー・フランキー(!)との会話さえも面会場面を経て変わる。演劇ではありえないが、演劇を経た生々しさを見ているような?録音の効果かボソボソ喋りでもいい。ここでのつなぎ間違いなんか、ある意味これこそニコラス・レイの映画で見るものに近いかもしれない(見ている間は思い出さないが)。染谷将太がまた演劇的とは全然思わせないのも面白い。

そして山崎樹一郎監督『やまぶき』を見た。勝手に『仮面ライダー black sun』がよぎったり、『紅葉』はチェンソーウーマンだったなあ、とか、警察署の標語がローカルでちょっと笑ったり、そんなものまで坂道を転がってくる展開かと内心ツッコミかけたりしたが、これは泣かせる。たしかにこの映画に関するいくつかの批評の言葉ほど確固とした映画なのかはわからない。これは良い映画なのか、ちょっと散らかった映画なのか? そういったことはもうこの際ともかく置いておく。なんだか最終的には「おーちゃん」と呼ぶだけで泣けてくる(なんでチャンスさんがそう呼ばれてるのかパンフ読むまでわからなかった)。とにかく皆書いてるがチャンスさんのカン・ユンス良かった。最初はこの人が主役?と不安だったが、取調室の背中と声と聞いている刑事の顔があまりにせつない(しかし元々この経験は笑い話だったらしく、そのニュアンスで聞いてみたい興味もあるが、まあ、それをしても半端に気取っただけになりかねない)。「走ろっか」もいい。「またね」も悲しい。いろいろ良いところある。和田光紗も良かった。娘も良かった。あのペットボトルの工作がわかるところもグッとくる。パンフにはリモザンとヤン・デデの助言あって97分にまで切り詰めて、結果、福島もオリンピックの話も明言されなくなった話とか、チャンスさんの役柄を掴んでいく過程とか、あのバーでの唐突なくだりとか、交差点とか、だいたいよかったところは書いてあった。最近なら『発見の年』の二分割画面には感動したが、この終盤にカン・ユンスと祷キララがようやく話したり、さらに終盤にお母さんの職業がわかったり、こういう展開にはなんだかんだ訴えかける力がある。

やめようと思っているのにズルズル抜けられないJAIHOにてラモン&シルヴァン・チュルヒャー『ガール・アンド・スパイダー』を見る。ジャック・ヒルの映画みたいなタイトルだが、数年前に話題だった(2013年だから10年近く前だった、ショック)『THE STRANGE LITTLE CAT』の監督だった。やはりかなり面白い。あらすじから、さぞ不穏な展開が待ち受けているかと思いきや、もはや全編通して不快だか快感だか判別つかない稀有な映画。およそ日常的な光景からは逸脱しないといっていい(さすがに異様なところもある)。というか人によっては「物語らしい起伏がない」と言うかもしれないし、単に息苦しく気取った映画として扱われるかもしれない。そしてその裏にさぞ意地の悪い含みがあるといいたいわけでもない(いや、およそ性格のいい人が作るとは思えない映画だが)。引っ越しの二日間。きっちり上映時間の半分で一日目というスタイル。おそろしくミニマルな始まりで、ある意味では徹底してミニマルなんだろうが、ほぼ全編バストショット、あえて人間同士の高低差はほぼ除外され、しかしカットバックは意図的に話者同士ではない相手へズラされ、画面外の音は会話や人が行き交い、幽霊が奏でているのかもしれないピアノが聞こえ、特にどんだけおこぼししてるんだと、これじゃ地面はガラスまみれの羽だらけの虫の死体に写真も水浸しか?と気になっていたら、最後のモノローグがまさに「海に浮かぶ映画館」ではないか! というか、たしかに深田館長の『ナナメのろうか』に近いスタイルかもしれない。とはいえ、受ける印象は真逆であり、むしろスコリモフキの『ライトシップ』のことなんかよぎった(蜘蛛といえば『アンナと過ごした四日間』になる)。「海に浮かぶ映画館」での上映作なら、たしかに羽毛には、うっすらと『操行ゼロ』感がなくもない(というか水に飛び込んだ幻影も出てきそうで、さすがに出てこないし、指摘したところで、だから?と言われそうだ)。ヘルペスと額の傷に爪も割れている彼女はスパイダーウーマンどころか日が沈むうちにゾンビガールへと変化しつつあるかもしれないけれど(ライミで言うなら中盤のお婆さんの変化もそれっぽいのだが何なんだろうか)、なんとラストカットは『デッドマン』かよとツッコミたくなった。