オンライン上映のマルコ・ベロッキオの99年作『乳母』を見た。「自由よ!」「自由な女でいてくれ」がまず記憶に残る。次に比べるべきじゃないだろうけど『ベイビー・ブローカー』より赤ん坊が映画の中にちゃんといるというか、ベロッキオの映画でよく見る夜中の寝静まった頃に忍び込む人や、ささやき声や、そもそも映ってること自体の緊張感(ジプシーが近寄ってきて、一方でヴァレリア=ブルーニ・テデスキは乳母を陥れようとしているんじゃないかというほど戻ろうとしない時の怖さと距離感)や、乳母に字の読み書きを教える一方で赤子のあやし方を教わる時に父親の精神科医の歌が「そんな子守歌の歌詞があるか?」とツッコミたくもなるが、そこに意味を越えてリズムが伝わったのか赤子も落ち着いている時とか、どれもちゃんと映画の演出に外せないものになっている。精神科医が赤ん坊を抱いたままベッドに横たわる時の不安と穏やかさが拮抗しているような感覚。赤ん坊を中心に撮ったショットから、少し引いて赤ん坊のいるケージと隣で机に向かって字を書く練習をする乳母を収めたショットへのサイレント映画的な印象の繋ぎもあった。字を書く練習を始めた彼女のもとへ回り込んだ精神科医の手がインしてきたとき気持ち悪いけれど良かった。テデスキはこの頃からテデスキだったんだなと最初に映った時は思ったけれど、どんどんと危うくなっていく。夫妻の別れる決定的なきっかけになったような会話をする夜の場面におそらく「アメリカの夜」を使っていたり、その後の衝動的に妻の実家へ馬車を走らせるけれど窓越しにクロスをたたんでいる彼女を見ただけで引き返す時も(後日、今度は妻の家の側から窓の外の夫が見えるようになる)、日暮れの空の色が妖しげで、ベロッキオの映画の夜は今回も印象に残る。

エルヴィスを骨の髄まで搾り取ったトム・パーカー大佐だって死ぬ前に裁かれているはずなんだから、これであれもこれもウヤムヤにされて弔い合戦でもされる(すでにチルドレンはイキってる)のはいくらなんでもあんまりなことになってる。バス・ラーマンの映画はやはり苦手なままだけど、エルヴィスは凄いというか。エルヴィスの人生が凄いというか、これを西鶴の世界だ!という勇気も確信もないが。誰よりも稼いで、誰よりも才能があって、たしかに神に導かれて、頭の硬そうな連中にも抗って、そして誰が見てもやめたほうがよさそうな手に乗って銭の世界のタガが外れた畜生に毟り取られるのだ。誰が撮ってもいいというわけでもなく、他の誰かのほうがさらに感動したか、単に退屈になっていたかはわからないが、何かそれだけで徹底的に打ちのめされるものがあった

小林啓一『恋は光』を見た。なぜ見たかといえば『ももいろそらを』という女子を長回しで撮ってモノローグ重ねていてピンとこない映画で東京国際映画祭にやってきたり、『殺さない彼と死なない彼女』という映画がごく一部で好評だったらしいから見た。漫画でしか喋らないような台詞をあえてそのまま発声させながら、しかし役者からは自然さに近い魅力を引き出すという試行錯誤が必要そうなことをやっている。自分で書いていて「自然さ」とか「魅力」とかいう言葉がそもそも何なのか嫌になる。
でも、こんなのが本当に良い映画と思えるわけがない。何より男一人、女三人という構図で延々恋愛話をされると「肝心の設定が大変都合のいい話だな」とムカついてくるし、まあ、若い男女が魅力的に撮れてればそれで満足なんだろうと、何も響いてこない。こういう映画を撮るからにはせめて多少は教育的なものというか学びのあるもの(どうやったらモテるとかそういう意味ではない)が見たいし、そうあってほしいのだが、まあ、この言い方も乱暴な言葉で全然批評にはなっていないが、つまりエモいかもしれないが得るものはない。別に悪口を言いたくて見ているわけではないが、最終的にはなぜ悪口を言いたくなるか考えるために見ている。でも結局は単純な好き嫌いが勝利したり、こんなもので満足してたまるかという半端さへのムカつきが勝利して、人を説得できるわけがないのだが。だが自分はまだこんなもので満足しないと確かめるために、こうした映画を見に行ってしまう。

統一教会の名前は出しても安倍晋三への逆恨み、妄想とリードしたり、『タクシードライバー』の名前を出したり、ワイドショーなんか見ていられないので、こんな調子で統一教会への妙な関心でも持たれたらどうしてくれようという話だが、数年後にでも山本直樹による漫画が描かれたりするんだろうか。(特定の宗教団体にまつわる殺人事件の話だろうと予測して)タイ・ウエスト『X』を見る。タイトルの予想に反して思ったほどアックスは振るわれなかった。真俯瞰のカットが狙ってやっているんだろうけど、ちょっと志村後ろ後ろで緊張感より間抜けさが気になる。素直に良いと言いたくない映画だけれど、さすがにあの反動での吹っ飛びは凄い。旦那さんの退場のさせ方はあれでよかったんだろうか。予備知識がなかったから老婆の役がまさかと思ったら本当にミア・ゴスだったから、へー、よくできているとなった。ただ要のはずのセックスシーンはどうなんだろうか。いや、こういうのは「どうなんだろうか」と言い出したらキリがないし、果たしてロマンポルノもない、ピンク映画もフィルムでない、別にポルノというわけでもない本作にとって本当に良い撮り方があるのかも答えはわからないが、特に録音マンの彼女の展開は微妙に中途半端というか、そこは荒井晴彦監督や井川耕一郎監督のほうが明らかに良いというか……。まあ、でも、このくらいでいいのかもしれない。エンドクレジット終わって立とうとしたところで驚いてすぐ座ったから後ろの席の人に笑われて恥ずかしかった。