『乙姫二万年』(にいやなおゆき)

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シアター・イメージフォーラム(東京):9/14 15:45 Program A
スパイラルホール(東京):9/21 10:40 Program A
愛知芸術文化センター(名古屋):11/8 14:00 Program A

 

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開催中のイメージ・フォーラムフェスティバルにて、にいやなおゆき作『乙姫二万年』を見た(次回はスパイラルホール(東京)にて21日 10:40から)。


下手なたとえだと思うが、にいやなおゆきさんという(ジョゼフ・コーネル的な)小箱の中身を外へぶちまけたら、とんでもないスケールの嵐になって世界が壊れてしまったような映画だ。8ミリアニメの代表作『納涼アニメ電球烏賊祭』での道端に捨てられた電球の中に広がる、ミニマルかつ壮大なイメージは健在だ。スクリーンが巨大であれはあるほど生きる映画であって、その一部始終を目で追える人間は存在しないだろうから、(どこか関連性のありそうな沖島勲『一万年、後....。』の遥か二倍の)二万年の時を超えて全人類が滅んでも宇宙に向けて電波となって上映され続けるに違いない。
生きているのか幽霊なのか人間なのかさえはっきりしないヘンテコな住民ばかりのアパートを舞台に、とんでもないことがサラッと日常の断片的なあれこれとして過ぎていき、夜になると毎日のように建物は津波に流され、そしていつの間にか訪れたクライマックスではこの世の終わりとしか思えない光景が繰り広げられる。アパートそのものが人間の頭部になる夢が出てきて、そこにはどんな想像でも許される宇宙の存在を感じる(楳図かずお『14歳』的な)。
物語のメインは、語り手の青年(声:加藤賢宗)のもとへ未来から巨大な牛乳瓶に入った全裸の乙姫(『スペース・バンパイア』のマチルダ・メイか!?)がやってきて同居するという話なのだろう。しかし唐突に段ボールの中からカブトムシが飛翔したり、猫屋敷と化したかと思えば(作家本人は望まない感想だろうが『黒木太郎の愛と冒険』を連想するのはこんなところか?)まさかの河童屋敷になったり、ゾウの「ハナコ」という本当に象なのかわからない気持ち悪い怪物を焼き殺すナンセンスなエピソードが挟まれたり(『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の『マクラスキー 14の拳』の火炎放射器と同じくらい笑える)、全く予想もつかない出来事が次々起きて飽きることは一秒もないが、まさに「夢のよう」というしかないとりとめもない展開のため物語らしい物語があると言っていいのかも怪しい。エピソードの合間に頻繁に挟まれる暗転のためか、騒々しいくらい様々な声が聞こえてくるのに、シーンによっては潔いくらい全く音がないためか、断片的な印象はさらに強まる。黒画面と無音、そして終盤になるにつれ画面を覆う白い光、無数の宇宙人が飛翔している空(『電球烏賊祭』の数えきれない量の烏賊たちが浮遊する闇の世界を思い出す)。清原惟の作品で馴染みのよだまりえの歌と旋律も聞こえてきて、『わたしたちの家』の別次元からの声のように、なんとも言葉にしがたいがひどく切ない感情までこみあげてくる。そして鑑賞中に客席から起こるだろう笑い声。映画館のスクリーンそのものの平面さ、奥行きの果てしなさ、映画館という場所の闇と音を改めて実感できる。
それでも紙芝居アニメーション『人喰山』(2009)の語り口もまた引き継がれ、36分を絶妙にまとめ過ぎることなく、散らかった荒野へ導くような叫びによって締めくくる。デジカメ動画をもとにつくられた日記映画『昨日・今日・明日記』(2012)のスタイルも合流して、ジョナス・メカスの名前を出すのは安易なら、高畑勲の『平成たぬき合戦ぽんぽこ』の狸暦が導入されているというか(個人の印象だが、志ん朝の語りと『人喰山』のにいやさんによる弁士が同じ声に聞こえてくる)、『となりの山田くん』の新聞の片隅に続けられた四コマから溢れ出したイメージの洪水に飲み込まれるような四季の記録を思い出していいのだろうか。このとんでもない断片たちがただの出鱈目な連想ではなく、その根底に貫かれた、昨今の自民党安倍政権の日本がそもそもどれほどイカれてしまっているか、このろくでもなさへの素直な怒りとなって反映されていることは見逃しても聞き逃してもならない。
にいやさんの筆跡によるキャラクターたちの見ていて心和らぐ愛らしさは、本作にどこへ連れていかれるかわからない不安よりも、この奇天烈な渦の中を漂い続けていたい気持ちにしてくれる。ゾウの「ハナコ」だけでなく、コラージュによる怪獣たちのグロテスクになるスレスレの面白可笑しさは実に愉快だ。精密な動きは犠牲にしてでも、こだわる箇所は徹底してこだわり抜いた手作りの世界であり、その細部には作家の偏愛するピープロの精神が継がれているに違いない。
それにしても本作の「2.5次元アニメーション」とは一体なんなのか。「片目で見ると3Dに見える」という作品解説は笑えるし、ただの茶目っ気、ハッタリかもしれない。それでもこの「2.5次元」というワードは本作を象徴しているように読める。アニメと呼ぶには収まりが悪いから「映画」と呼ぶしかない感じ。隣人が幽霊だったりロボットだったり平然と彼岸を跨いでしまう感じ。にいやなおゆきという作家が唯一無二の存在であることの証なのは間違いない。