1/4『VORTEX』

ギャスパー・ノエ『VORTEX』。
一部好評のため食わず嫌いのギャスパー・ノエをついに見る。
これまたエラいモンを見てしまったという感想に尽きる。ドライヤー『吸血鬼』もやってるし。
シュリンゲンズィーフなら『ボトロップの120日』を見たときの、映画から映画じゃない側へ下降していく様(それは本作のテーマでもある)を見ることに価値があるような、これはもはや映画じゃないと言われても構わないところが忘れがたい。無数の映画と死の結びつきにヴェキアリの『女たち、女たち』を連想できるかもしれないが、それ以上になんともいたたまれない。
別に画面分割が映画的じゃないというより(ウォーホルとかあげるまでもなくロイス・ウェバーとか、近年なら『発見の年』という最重要作に比べれば『VORTEX』はそこまででもなく、何よりアルジェントと同い年のデ・パルマかよとツッコミたくなるハラハラもしばしば)、それ以上にまだ若いフランソワーズ・ルブランとアルジェントの夫婦写真(たぶん合成?)が驚きだが、手法の面ならカットする度の黒画面がこちらの調子を狂わせるのは間違いない。ショット同士の繋がりが宙吊りになり、バラバラになりかねない感覚がスライドショーに至る。
正直その前情報から想像した以上に他人事じゃなく、露悪的とも言い切れない(ただラストのドローン?はよくわからないし、遺影はさすがに悪趣味の側に行ってないか……死んだあとに画面が白くなるのもいかがなものか)。
徹子の部屋』にて入れ歯が合ってなさそうな岡田茉莉子を見た時のいたたまれない感覚に近いと言っていいのか危ういが(しかしフランソワーズ・ルブランから真っ先に思い出した)、晩年の大島渚小山明子から介護されているという印象とともに、映画人にとっても老いは避けられないことだろうが、本作の映画と夢の繋がりは「悪夢」というより、差し迫る現実なのか。汚いフランスの水回りという点でノエはユスターシュらの伝統を継ぐのか(主演女優だけでなく『ナンバー・ゼロ』のことは思いの外よぎる)。または吉田喜重人間の約束』の、老いの狂気を描くことも一種の伝統かもしれないが、向こうから容赦なくやってくる目を背けたいものをあえて扱う感覚。