『バーナデット ママは行方不明』『私の大嫌いな弟へ』『颱風』『九条武子夫人 無憂華』『輝く愛』『怪奇猿男』『盗むひと』

『バーナデット ママは行方不明』ケイト・ブランシェットが情緒不安定なママをやる映画とか思っていたら、リチャード・リンクレイターの監督作だと今日になって知る。『TAR』の影響かと思いきや、なぜか2019年作。コロナのせい? なぜにこんな半端に公開遅れたのか。
宇宙探検の前に南極旅行の映画を撮っていたのか。ペンギンがその辺歩いている中、父娘の語り合う場面が嘘っぽい(ケイト・ブランシェットの見る船窓越しの現実感のなさがたまらない)のに、そしてお父さんはやっとお母さんに申し訳ないと気づいたのかという、とても今更っぽくベタなんだけど、やはり感動してしまう。
不覚にも序盤ウトウトしてしまうが、やはりリンクレイターの映画だから面白い。『TAR』とセットで苦手な印象が強くなってしまったケイト・ブランシェット(毛糸の球をいじるカットあり)だが、そんな彼女と、意外だかそうでもないんだかわからないローレンス・フィッシュバーンが聞き役に回ってのシーン、そこにクロスする夫と精神科医のやり取りまで始終微妙にカメラが動き続けていて、それがケイトの過剰さを微妙に引いて見れるような抑制に繋がっていて、さすがの距離感だと思う。
いつ大雨が来るかわからないから植物は大切にしようという教訓もあるから必見。
シュガーヒル・ギャングも素晴らしいが、今回のシンディ・ローパーも無茶苦茶いい。
そしてわかってはいても親子再会のラストも涙。こんな良い映画がなぜこんな遅れたのか。

 

久しぶりにデプレシャンの新作を見る。『私の大嫌いな弟へ』。
デプレシャンは嫌いというほどではないが、以前は周りが評価していたから「こういうのが良い映画なんだな」と学んだつもりが、気がつけば「デプレシャンそんな好きじゃないんだよな」という人に囲まれてる気がして、つまりデプレシャンについて自分の頭で考えたことはない。
だから久々のデプレシャンを見始め、早速思考停止する。ゴダールを初めて見た日から「フランスって交通事故多いの?」と素朴に思ってきたが、初っ端から人気もいない田舎道で、そんな運転って危険なのかと絶句するくらい、よくわからん危険トラックが突っ込んでくる。ついでにドラッグも出てくる。
そして仲が悪い割に、姉と弟はレストランで出食わしたり、そこに自分に近づけて身につまされるというレベルではない距離でワーワーやってる。サイン会に来た親戚の坊やにさえワーワー吠える。僕もデプレシャンは苦手だが、映画の人も「俺の苦しみがわかるか!」と言ってくる。普通の映画で、そんな台詞あったら総スカンだが、デプレシャンだと「しゃーない、デプレシャンの映画だから」となるのか。デプレシャンが誰かから愛されてるとしたら、それはみんながワーワーやっててゴチャゴチャしてる映画だからだろうか。
しかし両親亡くなった時に、あんな裏口とか案内されたり、告別の時に距離置かれたり、いくら直後に和解しても、ぶっちゃけかなり嫌である。飲み会に呼ばれなくて寂しいとかいうレベルではない。
そしてラスト近くの、姉さんのベッドに素っ裸で入るというのは、むしろここから生涯絶縁になりそうだが、何とも不思議なイイ雰囲気にしてしまうあたりOKなのか?
デプレシャンを松竹に招いて、寅さんのリメイクでもやらせればいいんじゃないだろうか。

 

国アカのサイレント映画特集にて『颱風』(監督:レジナルド・バーカー、主演:早川雪洲)。なかなか面白かったはずが細かいところを全然思い出せず書くことがなく困っている。なんとなく良かったですとしか言えず、こんなじゃ駄目だと残念。
朝ドラ『らんまん』の要潤を見ながら、早川雪洲の役とかできるんじゃないかと思ったけど、ただNHKでやったとして興味わかないし、やっぱり大島渚×坂本龍一なら見たかったという話か。

 

『バーナデット』の勢いで(見直すつもり)リンクレイター祭りを自宅でやるかと『スクール・オブ・ロック』。
imdbでざっくり調べる限り、あれからスクール・オブ・ロックのメンバーを(少なくとも自分が)映画で見ることはなかったんだろうなと思うとチト寂しい話かもだが、連ドラならともかく100分程で、ほぼ全員なんとなく忘れがたいというのはやっぱり凄いんじゃないか。クラスの人数として少なすぎるのか、こんなものかはわからないが。これもまたレオ・マッケリー『めぐり逢い』の子供たちの合唱にちなんで三宅唱監督が言うところのオールスタープレイヤー映画だっけ?みたいなやつか。ジャック・ブラックが初めて音楽の授業の彼らを見るシーンの撮り方が端正で既に良いから、ジャック・ブラックに役割分担されて輝くというより嬉しいのか不満顔なのか何なのか微妙な顔つきが見れて、こういう魅力を引き出すことで一人ひとりを記憶に残せるのが実に作り込み過ぎずうまいというか。そして家庭内の描写の留め方も見事というか。
『バーナデット』を見たからか、ジョーン・キューザックの校長が良かった。酔って素を出すというか、車内にて「私も昔はファニーだった」と始め「自分は嫌われ者」とどんどん感情を露わにするところも、全く笑うところではない。
ライブシーンの親たちの目線をカメラほぼ正面にするというのも思い切ってて、さすが。
彼女のベースソロがないとか、そういう不満さえ映画の限界というより残された可能性になってる気がする。

 

山形にもたぶん一日(気力体力あれば)行くか行かないか、イメフォフェスも行かず、国アカの図書室も閉まってて、あまり興味ない方の(すみません)展示を見て、他には写美に行ったりステーションギャラリー行ったりするやる気なく、黄金町は時間つぶしには遠すぎるし、既にブリジストン美術館の展示は行ってるので、ぼんやり京橋のドトールで時間をつぶす。読書すればいいのだがウトウトしていた。
国アカでは『九条武子夫人 無憂華』(根津新)。主演女優の三原那智子が美しいというか何というか一目見て妙に忘れがたい顔つきというか。解説音声つき短縮版ということだが、とうもろこし畑のシーンとか、ラストの窓枠越しに降らせる雪とか、やはりかつての日本映画の技術が記録されているというか、全編見てみたかった。撮影は河崎喜久三(新東宝での中川信夫など)。
『輝く愛』(西尾佳雄、清水宏)は無駄に豪華な犬小屋とか、乳母車を改造した自動車(やや動物虐待)とか、ラストの古典的カーチェイスとか(しかし小学生から演じ通した彼らは事実何歳なのか、劇中でも何歳という設定なのか、正直よくわからん)、遊び心のあるところが説教臭い話でも楽しい。酔っ払って帰ってきた父と母の諍いから、セットぶち抜いて2つ隣の部屋で布団から飛び起きてイヤな笑い方しながら聞いてるドラ息子まで素早い横移動で見せるワンカットがキマってる。

 

山形行かずに国アカにて馬徐維邦『怪奇猿男』。2009年の東京国際映画祭にて見逃してから14年の月日が過ぎ、噂の着ぐるみ猿人映画を念願の鑑賞。
最初の監督本人が馬に乗って疾走するカットが一番カッコよく、あとはネズミがシャンデリアから降りてきたり、薄暗いフィルムでのB級ホラーというか自主映画というか見ていてワクワクしつつ気づけばウトウトもする。
『続 深夜の歌声』について「革命」の字が浮かぶインパクトは覚えてるが、ここでは猿を猿人にしたとか、処女5人分の生き血を使って不老不死の秘薬を作る云々書かれた字が映る。
大したことない映画かもしれないが、これは中原昌也さん言うところの雑木林映画といえるのか。終盤にサラッと猿人が実は二人いたと明かされて驚くが、なんとさらにとんでもない結末を迎える。誰が見ても着ぐるみだった猿人の被り物が本当に刑事らの手で剥がされて、犯人の正体が明かされる。単に低予算で怪人が着ぐるみにしか見えないのではなく、本当に着ぐるみだったのだ! 事実、犯人と疑われた人物が狼男みたく変身しそうなミスリードもされているのだが……またこの猿が実は二人いたおかげで可能な犯罪トリックともわかるのだが……、映画の根底が大きく揺らぐ(中原さんもかつて「怪物が実は着ぐるみでした」という、映画の根底を揺るがすのに製作者自体が間違いなく無自覚な作品について書いていた)。このオチを21世紀にやったのはシャマランの『ヴィレッジ』くらいか? ラストの「二枚目が善人とは限らない」という台詞。裏切りという題材もあって(ラストカットが友人を売った丸顔の男の間抜け顔というのも意外)、善悪の概念も、映画の中心も(もう誰が主役かわからない)、ひたすら安定しない、壊れてしまった。なのに映画自体は呑気に予定調和に終わって見えるという。

 

山形行ってないからアテネ・フランセへ。とはいえクロード・ゴレッタは見逃した。
ジャン・シャポーの『盗むひと』を見る。ダイアログがデュラスというか、何より助監督がペーター・フライシュマン! だから何だと無責任にも言えないがフライシュマンの映画をもっとちゃんと見たいという欲を掻き立てられるくらいは面白かった。
フライシュマンは大変うるさい職人気質の監督らしい(どっかで読んだだけだが)。そういう武田一成的なポジションなんだろうか。ジャン・シャポーのことはよくわかってない。