『アステロイド・シティ』『マリとユリ』

本当に公開するのかわかってないうちにウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』始まっていたから見に行く。
もう初っ端の画面いっぱいに走る列車から単純に興奮してしまって、クレジットが全然目に入らず。さらにキノコ雲。ウェス・アンダーソンのウエスタンか?などつまらないジョークがよぎる。(しかし『オッペンハイマー』はいつやるのか?)ラストもシナリオを破り捨てる仕草を(当然そんなわけないのだが)真似てみたような余韻。青空をバックに人物を仰ぎ見る画の抜けの良さにも素直に感動してしまう。
全編アメリカが舞台というのも久々なのか。
ウェスの映画でも死んだ人はお星さまになるんだね、とか、なぜか北条時行とか。
『フレンチ・ディスパッチ』に続きモノクロで撮られた女性が美しく(個人的には誰が出てるか事前に知ってしまって驚きが半減したから書かない)、特に彼女の声が「I said」「You said」と発し続けるのが聞こえてきてからの、ロングでの横顔が続き、それが正面へのカットバックに移行する、その繰り返しが英詩にまるで詳しくない自分でも、この響きに惹きつけられるのかと思う(いや本当に全然詳しくないので見当違いかもだが)。幽霊として出さないという選択が、かえって本作の入り組んだ構造もあいまって、深淵にはまり込んだようで、エピローグを夢から覚めた後のようなスッキリしたものに感じる。いや、それとも覚めたのに夢がまだ続いているような感覚か?(たとえば『黄金の馬車』?)いくつかの映画≒鏡を連想したくなる題材のなかで、中盤に割られる窓と風の音、終盤に現れる扉と、そして奥に見える観客席が不意を撃つ。
あと宇宙人役は贅沢すぎる。着ぐるみ映画でもあった。
スカヨハとのやり取りが『アンジェリカの微笑み』と『ブロンド少女は過激に美しく』をどうしても思い出して、ウェスがオリヴェイラを見ていても驚きはないかもだが。あのボディダブルの露骨さは『夫が見た』のほうが凄いか。

 

先週の早稲田松竹、メーサーロシュ・マールタ特集は『マリとユリ』しか見れず。
いや、見ようと思えばもっと見れたかもしれないが、どことなく一気に何本も見ようという映画ではなく、その種の自分みたいなガキでもハマる刺激はないが、それこそリアルタイムに公開されたペースで見れたら丁度いい普通のしっかりした映画だった。
なんとなく感覚としてはラナ・ゴゴベリゼや(そうなるとやっぱり岩波でやりそうだが、なぜか東映ビデオである……東映のセクハラ労災は?)、また今なら『幸せのまわり道』のマリエル・ヘラーに近いか? 決して古びているわけではない。
マリナ・ヴラディの胸元を覆い隠さない裸体を見たのは初めてかもしれないが、そしてそれを真っ先に書くのは助平心と思われても仕方ないのだが、旦那とのセックスを含めても、そこに猥雑さは感動的なほどない。年相応の、そのままの女性というのが、ただ存在する。『彼女について私が知ってるニ、三の事柄』とともに忘れがたい。
それにしてもアルコール依存症の治療の身も蓋もない醜さ。アル中旦那の意外と良いところも、やはり見下げ果てたところも、なんだかウィレム・デフォーのようだが、彼がやるとアベルフェラーラになってしまいそうで、メーサーロシュ・マールタの映画はそういうどこまでも付いていってやる感覚はない。にしてもラストの子供の「嘘だ!」で終わらせるのは容赦なく、かつ呆気ない。