サボって何本も見そびれたままのアピチャッポンだが久々に『メモリア』。ティルダ・スウィントンジョン・ハートに見えなくもないくらい、はっきりしない意識のまま。睡魔が襲うたびに物音に起こされ具合が悪くなりそうなくらい調子を狂わされる(本作の評を緊急地震速報のアラートの話から始めた井戸沼さんの感性は鋭い)。睡魔との闘いが逆転して、なかなか寝かせてくれない戦いになり、いよいよ本格的に寝かせてもらえた頃に目覚めると、すぐに終わってしまったので、はたして本当に見たといえるのかは怪しい。ただ何か虫の羽音や人のざわめきを聞いていたかもしれない。その意味では絵と音が分離し続ける(ティルダ・スウィントンが音を言葉にできていたのか?)。そしてついに目覚めさせた時に待っていた、『サクリファイス』かと思いきやシャマランだったかのような画と音の一致というか、はぐらかしをどう受け止めていいのかわからない。序盤の地面に伏せた男とバスの関係が一番印象に残る。やはり苦手なままだが。なんとなく、鈴木卓爾監督の新作が見たくなった。ラストの静かさは爽やかだった。

ジョセフ・ロージー『拳銃を売る男』アントニオーニ的なものを予感していると、あてもなくさまようことさえ許さない容赦ない逃亡劇へ。それでも人形アニメから『緑色の髪の少年』『大いなる夜』の比較的素直にのめり込める、少年の(しかも利発とはいいがたい)目を通した、どことなく作り物らしいロージーの映画。

ジャン・ルノワールを見返さなくてはと思い、ほとんど覚えていない『南部の人』から。嵐が去って「秋」が来る。愚痴だらけのお婆さんも言うだけ言ったらやるしかない。置いてきぼりの牛もなんとかするだろう。その気持ちで生きていきたいものだが、現実には根性なしのまま。
人は下手な?芝居をすると感傷的になるらしいが、つまり感傷に流されず生きる様を見せなければ映画も演劇も意味がないということか?

ラナ・ゴゴベリゼ『金の糸』思ったより酷な仕打ちというか、復讐をとげたと受け取れるかもしれないが、「大人の映画」と思いきや、やはり老人力は侮れないというか……。あと娘の監督作に携帯電話が出てきた理由も何となくわかった気になる。

番匠義彰『素晴らしき十九才』。これはキツくなく楽しむ(だんだん疲れてきたが)。牧場で演奏する羽目になった途端、牛が映る冒頭に笑った(そこで揺れる尾っぽのアップにはしない)。それにしても、もう日本映画を見ているという気がしない。別世界に感じる(かつてのきらびやかな世界とも異なる)。撮影所時代の映画は国境を越える?……いや、別にそれは東映時代劇でも何でも既に言えるはずの印象だが、とにかくこれが例えばインド映画と並んでMUBIで特集されてても違和感はない。『モスラ』とクレイジーキャッツの映画以外でザ・ピーナッツは初めてちゃんと見たかもしれない。パンして鍵盤を弾く指が映るだけで盛り上がる。最後の専務を止めるために乗り込んだ青いトラックで、そのまま冒頭の田舎まで戻ってヒロインを迎えに行く流れも気がきいている。それにしても今回も岡田茉莉子の美貌というか貫禄に改めてビビる。