『スイート・マイホーム』

齊藤工監督『スイート・マイホーム』を見る。
長編の前作は見ていないが、これはなかなか面白かったので終盤までは本当に見て良かったと思った。刑事が電話をかけてきたあたりから、ちょっと大丈夫か?と不安になり、それでも人形を撫でる画を見て、イタリアン・ホラー的と思えば許せるのかもしれないというか、クライマックスの対決も、それまでの演出がこう来たかと興奮したが、ラストのかなり嫌な締めくくりに一気に心離れてしまう。
そういうところに文字通り目を瞑ろうにも困ったことに最後の最後のことだから無視もできず本当に残念というか、嫌な話だな、まったく。
良いところはいろいろある。あまり見たことない役者をメインに出していて好感をもった……と思ったら窪田正孝とか窪塚洋介とかだったので、単に自分が疎いだけか、映画の力かわからないが驚いた。顔面アップが『零落』みたいだなと思っていたら竹中直人の顔も出てきた(ゲストというか良い登場のさせ方だと思う)。主観ショットの挟み方が序盤の閉所恐怖症で倒れる辺りとか奇を衒いすぎかと思っていたけれど、一つ一つの画の組み立て方に意図や狙いが当然ある。役者にも役柄にも内面を語らせ過ぎず、大人なら何もしゃべろうとしない怪しい人、疑ってしまう人、何か見てしまった子供から赤ん坊から死体まで、演技で引き出しきれないものを画の力だけでなく見る・見られるカットの組み立てによって映画が作り上げられることを示す。その一方で窪塚洋介の言う「誰か」が至る所から見つめてきているという台詞のように、その至る所にいる「誰か」が何者かではなく、あくまで存在しているかいないか謎めいたままだからこそ、誰かから見られる側としての人々の不安と(やはりこれは役者の監督した映画らしい奇妙さか)、観客としてこの映画がどういう方向へ向かうのかの不安がうまく重なっていく。特に闇から出てきた窪塚洋介のアップはかなり引き込まれた。それが画の力とか、不意打ちだからというよりも、映画が主観ショットだけでなく、誰かから見つめられているものであり、その見つめていた誰かの存在が切り返されてくるからだ。何を思って何を見ているかよくわからない人のアップも、微妙な感じ悪さが維持されていて面白い。そして彼の印象が悪いというのは窪田正孝ら限られた人物だけのものらしい。画面外からよびかける声を先に聞かせたり、音声の側からも面白い。ジャーロ映画のような犯人像が浮かび上がってから(設定の無理さをバネにした展開?)、その正体に意外性も何もなくなっても一向に焦点を結ぼうとしない犯人の像が明確な主体と行動を切り離すような感覚を強め、そこにあえて音楽を抑えて空調音を効果的に使っての地下室での闘いに興奮した(どこか『魔の谷』といったモンテ・ヘルマンを見た時のような捻くれた変化球か)。
キネ旬のインタビューによれば撮影前に『ヘレディタリー』を見たらしいし(いかにもだが)、『呪怨 呪いの家』のことはどうしても連想するけれど、むしろ役者であり監督というなら竹中直人以上にアイダ・ルピノくらいB級の作品を残してほしい。ただ、それなら2時間近いのは長すぎるかもしれないし、やっぱり終盤の展開は批判されるべきか。