まさか渡邉寿岳×荒井晴彦なんて!と片嶋一貴『天上の花』を見に行く。予告では渡邉さんと気づかなかったが、『VIDEOPHOBIA』や『夜を走る』の撮影と同じと言われたら、ほぼ納得してしまう。たむらまさきの最後の長編の監督と渡邉寿岳が組むのも奇縁だ。
変な映画。そのヘンテコの原因はいろいろ混ざり合っているかもしれないが、荒井晴彦片嶋一貴も渡邉寿岳も東出昌大も絡んでのものととりあえず言うべきか。渡邉さんが清水宏の後期を、つながっているようで全然つながってない映画、と話していた気がするが、この映画もまたつながってるようでつながってない(何人か清水宏は後期ほど、大映時代こそ異様であり凄まじいという話で盛り上がる仲間がいた。しかしそれを真顔で違う人にすると、わかってない人へ常識をさとすように30年代の話をされてしまう)。またはわかりやすく渡邉寿岳にとっての大正三部作が始まったのか?(または先の二本とともにDV三部作のラストか?)
東出昌大が波打ち際を意味不明に楽しそうにピョンピョン走る冒頭から話が頭に入らず、そして入山法子いしだあゆみに見えてさらに戸惑う。しかし途中から何だか同情してかわからないが慣れてくる。こめかみを撮られたところが微妙にエロい気がしなくもない。ただ彼女の正面からのショットなど美しいかはさておき不意をつかれるというか、どこがいいとか、どの画がいいとかわからないけれど、とにかくわざとでもなく歪すぎるわけでもなく、これは一種の抵抗なのかわからないが、東出昌大の暴力が出てくるあたりから不謹慎だがもう笑うしかなくなる。これを見て現在のテーマを扱っているようで、そのパロディなのかと疑うくらい、東出昌大がなにかするたびにおかしくて仕方ない。それが面白いから見ろとか言いたいわけでも、許しがたいわけでもなく(いや、ぶち殺されて死ぬ展開を期待した)、そのおかしさは原田芳雄に近いというのも無駄に持ち上げてるし、これは東出昌大だけでなく入山法子もおかしいと言うと聞こえはいいが、なんだかうまく言ってみただけな気がする。雨に打たれながら蟹を食うあたり『猥歌』の内田裕也みたいなことをしているが。やっぱり東出昌大は人間じゃないのか。
しかし最後の騎上位は良かった。ラーゲリならぬラーゲの映画。
ラストカットがなんかラストカットらしくない妙さが渡邉さんの映画にはいつも感じる(ちなみに雪は渡邉寿岳監督作の『かつて明日が』のほうが印象深い)。ただ、それは気のせいかもしれない。

 

なかなか我慢とかできないので2Dにて『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』。キャメロンによるパシフィクション全開。前作のこと全然覚えていないがアトラクションとか斜に構えて言った覚えがある。つまり凄いけど疲れた「体験」とかだが、今回は3時間あるが全く疲れず。最初はダイジェストかよと不安になるが、すぐに列車襲撃ともう「反時代的」といっていいのか、あの始まり方の理由もわかってくる。フォード特集あまり通わなかったからあまり適当なことも言えないところあるが、諸々誰が見てもよぎるところあると思う。『ターミネーター』の未来での戦争の拡大版がついに、と思いきや海の話へ。人間たちによる海での狩りさえ『ハタリ』というか『サカナマン』というか『アビス』のドキュメント的な要素を彷彿とさせてダレることなく見れた。特に敵役がシュワに見えてからは(なんならジョン・ウェインでも構わないか)終盤はキャメロン過去作の継ぎ接ぎのような見せ場の連続でも、かつてよりもずっと引き締まっている上に、予想しなかった飛躍が続き(やはりあの血のつながらない父子の関係がいい)、最終的にはサム・ワーシントンの声にただただ心洗われる。もうこれで終わりでも全然構わない。あと噂以上に『ワイルド・スピード』(もうイタダキじゃないか?)でも、ワイスピより遥かに土台の安定した(恥ずかしげもなく蓮實重彦の『ショットとは何か』の話を借りるなら、やはりカメラをどこへ置くか『ワイスピ』より明確な)傑作。普通なら微妙なスローモーションさえ何だか落ち着いて見える。最初は不気味な五本指もシガニー・ウィーバーもクジラみたいな生き物(なんと喋るのだ、字幕で!)もすべて愛おしく美しい。