『サントメール ある被告』『大いなる自由』『Cowboys and Angels』

ストレンジャーにて『サントメール ある被告』(アリス・ディオップ)と『大いなる自由』(セバスティアン・マイゼ)。両作とも撮影監督がセリーヌ・シアマと組んだことがあるという繋がり。

『サントメール』は呪術というワードの出た人種差別的な偏見による誘導が明かされたといっていい場面の微妙なロングがわかりやすいがやはり良いけど、終盤の一人ひとり涙目の人物を映してから、誰もいない裁判所を映しての余韻みたいな撮り方をしてしまうのが勿体ない気がする(そういうの『裁かるるジャンヌ』にも『ジャンヌダルク裁判』にもない)。
『大いなる自由』はペッツォルトの次くらいには面白い。これはこれでファロッキというか『抵抗』になれない刑務所での愛の映画というか。再び刑務所に戻る選択を愛ともいえるが、その『抵抗』や、または『大いなる幻影』がよぎると皮肉な結末に見える。その二作が戦中にドイツ軍の捕らわれの身から解かれる結末に対して、『大いなる自由』は第二次大戦後に連合国によるナチスの収容所からの解放後、そのまま175条により刑務所へ送られた男の話である。彼にとって刑務所は行ったり来たりだろうが、時制は懲罰房の暗闇を堺に行き来する。45年に黒人の米兵から「突然逃げたから」と捕まり入れられた、時制的に最初の暗闇は懲罰房ではなかったのだろうか、後に懲罰房へ入れられる場面では初めてこの非人道的な闇に裸体で放り込まれるかのように暴れる。だが57年に、刑務所にて何度も出会うことになる男が懲罰房へ入れられる前に激しく暴れ、抵抗する姿があって、この権力により脱がされることへの抵抗は作品の主題の一つかもしれない。それから終盤まで、彼が一時的であれ出所するシーンはないが、不意に時間が遡る。68年の年の瀬に小学校教師で一緒に捕まった囚人が、刑務所中から響く「69年なんか糞だ!」という雄叫びにつられるように、マグカップを天井近くの格子に当ててガンガン鳴らす場面が、数少ない「自由」として記憶に残る。あの針の使い方に、伊藤大輔の『鞍馬天狗 黄金地獄』とは違うが、あんな光が射すんじゃないかとよぎった。終盤はペーター・ブロッツマンも登場。

faroutmagazine.co.uk

twitterにてジェームズ・グレイUSC時代の短編『Cowboys and Angels』(91年)が配信されているのを知って見る。22歳。11分。やけに短い最初のコーヒーを注ぐ2カットに続いて3カット目のダイナーで男三人並んで座って駄弁ってるカットのトラックイン(本作のトラックインはどれもカッコいい)、4カット目の恋人とのベッドでの一転して暗い室内でのやり取り、5カット目からはダンサーのいるいかがわしいバーでの移動撮影(ここまでのほぼワンカットワンシーンといっていいリズムがあるからこそ、わずか11分でも映画に豊かな深味がある)、それから家出娘を捕まえるのだが、ダイナーでの光の加減とトラックインが異様にカッコいいのと、続いて外で逃げようと走る女を捕まえるカットの一転しての手持ち撮影も生々しさ以上に、やさぐれた中にユーモアさえ感じる。父親のもとへ連れて行ってから、探偵が台所での父娘の諍いを玄関口あたりから見ているのだが、ふと娘が父に叩かれてから、父を睨んでの眼なのか、探偵の側を睨んだ画なのかわかりにくいアップが挟まれて、たぶん位置的には探偵の側なのだろうがカットの繋ぎ的には父と娘のカットバックになったとしてもおかしくないような、いずれにせよ娘がこちら側を睨みつけたということも、父の主観と、探偵の主観が重なったようにも感じる。さらにそこでは父が探偵の目に気づいて、思わず目を反らすカットもはさまって、探偵と父とのカットバックがあるのも印象深い(わずかな時間で三者の間に交わされる視点)。それからの父が娘を連れて、別室の扉の奥へ消えるのを追う、しかし画面手前には探偵を配して、屋内の柱を横切る移動撮影になるのだが、このわずかに動く側が影に消える時間のある撮り方によって、一つの家がある境界線に隔てられて二つの空間に分けられる。それから扉の閉まる隙間から見える娘のカットに続いて、探偵の側へゆっくりと近づいていくカメラ。このカメラが動いている間、そこにいる探偵の気まずさというか、どうするべきかわからない時間を作り上げる。それからなぜか先ほどの娘がいた場所に(その睨みつけられた場所へ)探偵が戻る時に、いないはずの彼女が目を伏せて涙をこらえている顔が挟まれて、時間の捻じれが生じる。探偵と恋人が過ごす部屋にもまた、さらに大きく太い柱のような影が居間とベッドルームを区切っていて、背中に氷を入れるいたずらをされた彼が彼女を追って、ベッド上で彼女に覆いかぶさり、その後、予想外に大胆かつ美しい、彼女の肋骨の浮き具合も生々しいベッドシーンになるのだが、その背後は暗くなり、あのバーにいる裸体のダンサーとネオンが浮かび上がり、さらにはまさにルルを彷彿とさせる、あの娘の妖艶かつ儚い佇まいがオーバーラップおよびフラッシュバックしてくる。しかし一方で路上からすれ違いざまに、こっちに唾吐きかけるような目つきで睨んでくる彼女の、あのフラッシュバックと異なる、より生の不良じみた姿のほうがさらに焼きつく。タイトルがカウボーイもエンジェルもどちらも複数形。