9/11~17

数年前に友人から情報を得て早稲田の藤井仁子氏の講義に潜って上映を見たことあったと思い出し(あくまで珍しい作品の話ではなく、本来日本語字幕付きDVDがレンタルできるくらいはアクセスしやすい映画でないとおかしいという基準からセレクトした作品を上映する授業)、ロッセリーニ『自由は何処に』Dov'è la libertà? (54)。藤井氏の「トトの演技が好きになれない」という一言のおかげで上映後は盛り上がりもしなかった記憶はあるが、見直したら当然ロッセリーニの他の映画と比べて何ら遜色ない。そりゃトトはアンナ・マニャーニと比べたりしたら「うーん……」かもしれないが、改めて見ると西村晃にやや似ている(シネマヴェーラの『怪談せむし男』上映後に抜粋の流れたイタリア語版VHSのクレジットには西村晃はじめ日本人俳優全員に出鱈目なイタリア人名をつけられていたのも思い出す)。
法廷を舞台にトトの言動に対して画面外の傍聴席からの嘲笑が被さる冒頭からして、テレビ番組を先駆けていたのか(いつからそういうことをしていたのかは知らないが)。「リュミエール」に翻訳されたホークスのインタビューを読み直したら「俳優たちは自分たちが面白いことをやっているのだと思い込むように」なった原因の一つとして、テレビの録音された笑い声を重ねたものばかり見ているからと話しているが、ロッセリーニは嫌がらせのようにやってるのか(字幕がないからわからないだけかもしれないが、別に芸をやっているわけでもない)? どちらにしても奇妙。そしてロッセリーニの映画の人物らしく主役はさまよう(やはり喜劇映画には思えない)。『ロベレ将軍』を予告しているような印象もあるが、終盤の刑務所へ逆戻りする一幕など珍しく(たぶん)犯罪映画らしくて面白い。

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堀江貴大『先生、私の隣に座っていただけませんか』見る。教習所の先生と黒木華が帰ってくるまでは、映画そのものが教習みたいな誰もが『めまい』を参照したとわかる作りの(ややデプレシャン寄りの?)安全運転映画。「私」の「隣」の「先生」が複数の意味を指す点にしても、最後に異なるタッチの画に上書きされる点も。かなり終盤近くまで東京芸大の卒制みたいな印象を拭えないままだったが、五人揃って(ドワイヨン寄りの)ラブバトル始まりそうで始まらない辺りで客席から笑い声が結構あがっていただけで、まあ、よかったんじゃないかと思う。ただこれはさすがに90分を120分に引き伸ばされた感じが結構きつい。

 

にいやなおゆきさんの新作『うなぎのジョニー』が「おまめ映画祭」の一本として配信されているということで、ひとまずにいやさんのを見る(13:16~19:11)。つづきは明日以降見ることに。『人喰山』『乙姫二万年』に続く紙芝居アニメの新作がいきなり見れてよかった。わずか5分だが今回も主人公の語りに乗せて画が一枚ごとに時間を飛躍させる。またしても火の手が上がるのだが、にいやさんの描く暗闇に流れる白い炎は「淡い」という字のように、水の質感がする。

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『モンタナの目撃者』あまり楽しめないまま見終わったが、後でTwitter見ると軒並み好評で、答え合わせでもないのにションボリする。殺し屋映画だともわかるし、なぜだか活躍する妊婦に驚くし、そういえばこれは確かに良い映画としか思えないのだが、なぜ僕だけボンヤリ楽しめないまま終わるのか。全然別物の殺し屋映画『ベイビーわるきゅーれ』も乗れないまま終わったが、やはり一部では好評だった。まあ、どうせ自分は映画を楽しめない不勉強小僧(ザイドルでも見てろって言われるのか)。ただ仕事がきついときは隅々まで意味ありげなもの(シャマランとか濱口竜介とか『フリーガイ』とか)以外は耐えられないのかもしれない。それは非常に虚しく寂しい日々。まあ、記号とかクソ食らえな映画のはずだから、いつかまた見直す、『モンタナ』。

 

『早春物語』改めて見ると「大家さん」とか雨の運転とか、次の『めぞん一刻』に続くのかもしれない。以前は多少原田知世を見ようとしていた気もするが、別に大して働いてもいないのに、境遇も重ならないのに、林隆三の声に聞き惚れてしまった。なぜに3階建てのボロアパートで屑鉄の行商をしているという話に心動かされるのか。戸浦六宏のカラオケも聞ける。原田知世はたしかに「よくそんな声出せるな」と言われるだけあってうるさいが、やはりカラオケの場面はなぜだか泣かせる。小林稔侍にアテネフランセの話を聞いてからニコライ堂付近を歩く原田知世が非常に綺麗に見えた。またしても死と稼業が絡む命懸けの恋愛。父と継母と三人揃う場面が最後になく、林隆三との別れに姿を見せるから、彼女は娘ではなく母の身代わりを完全に引受けて「過去」のある女になった。

 

伊勢真一『いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム』ひょっとして、やや出たがりの作家なのか?と思っているが、今回は娘のナレーションによって自らはほぼ被写体として父・伊勢長之助の戦時中インドネシアでの活動を辿る。伊勢長之助はじめ映画人に悪い記憶を持ってなくても、占領下を知る人にとって大半は「思い出したくない」。それはオランダのフィルムアーカイブの職員の祖父も生前インドネシアでのことは語ろうとしなかった。父の関わった出来の良いフィルムの美しさ(『マラリア撲滅』の楽しさ)が多くの声を殺してきたとも作家は語る(瀬川順一らを通して聞いてきたのだろう「独り立ち」の過程で戦死したカメラマンたちの存在)。敗戦間際の作品に音が重なりきってない事実に現実が記録されている。墓参りにて、どちらかといえば生前の父の身勝手さを憎んでいたとも語る(それもまた思い出したくはないのか)。フィルム自体は幻ではなく、ただ思い出したくない過去たちが隣にいる事実。

 

『シャン・チー テン・リングスの伝説』見る。ツカミのトニー・レオン(この最初のカットが一番いい気もする)からオークワフィナとかマカオとか経て、奥地に行くほど途中から飽きたが、最後にツイ・ハーククトゥルフ神話っぽさ(よくわかってないです)にドラゴンボールを混ぜ合わせたような無難な感じ(CGの竜が飛んでくる)を見ているうちに終わった。冷静に考えるとマカオで最後までドタバタやってくれれば満足じゃないかとも思うが。トニー・レオン見ながらカーウァイの『グランドマスター』って何だかんだ非常に美しい映画だったんだなあと今更思うが、別にこれはこれで悪くない。だがなんで妖怪だらけの話になるのか? オークワフィナが出てくる映画を見るのは三本目だが、実際魅力的な人なんだろうが、置いてきぼりもくらわず最後まで特技を活かして活躍し続けるのは(というかほぼ主役)一体何者なのか困ったが、まあ、それがこの映画の面白さなんだろうか。アル・パチーノに見えなくもない(見えない)ベン・キングスレーもいいんだけど何?『アイアンマン』見ればわかるの?