『小さな声で囁いて』(山本英)

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熱海を舞台にした倦怠期カップル二組のバカンス映画。ロッセリーニ『イタリア旅行』、エリック・ロメールホン・サンスの諸作を当然思い出す。それら先行の作品に対するズレも含めて「よくできた宿題」に見えてしまうこともある。

前作の『回転』は、ゴルファーとクリスチャンの高齢男女が入れ替わる仕掛け以上に、日々の仕草を演じているというよりも状況と設定に何となく馴染んでフレームに収まりながら変化の予感に晒され続ける男女を楽しむ映画である。二人は夫婦でもなく隣近所の付き合いなのか一緒にお茶を飲み、こぶの話をする。

そんなカップルなのか不明の男女が『小さな声で囁いて』に引き継がれているのだと気づく。改めて初めて出会った男女みたいになる最後は美しいとも、狙い過ぎともつかない。

「回転」は『イタリア旅行』を誰もが思い出す文脈から美術館の像に対して向けられる。見学している女性からの「もしも回ったら面白いですね」に対する「回ったら芸術でもなんでもないんじゃないの」といった職員の返しから、像ではなく、像の周囲を視線が移動する。灯台のロングショットは小津『浮草』冒頭の「移動」はできず、あくまで浜辺の人物たちしか動けない。またはいくつかのピント送り(モニターから見ている女性へ、テラスから窓の内側へ)によって焦点の合った対象が入れ替わる。ポットに入れられた貝は「奇跡」か何か起こすわけでもなく、ただ観客の注意を半端に引いたまま消える。シーンごとの断絶によって複数の曖昧な答えを用意する男女の変化(もしくは変化などなく茫然と見過ごすほかないいくつか)。

『回転』の視覚効果として不要かもしれない肝心の場面が、映画史と合流して「それは回転していたのではない」と解体されてしまっているみたいに、四人の男女とも三角関係ともつかない状況でジタバタする。

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