『BLEACH』(佐藤信介)

pff.jp

いぬやしき』は不快感が勝ってしまったが『BLEACH』には感動した。杉咲花福士蒼汰の過ごす原作序盤の日々のあれこれが、自主映画時代の『寮内厳粛』『月島狂奏』『正門前行』を連想させるくらいに膨らんでいった(WOWOWで見れた)。
原作を読んでいなかったら追いつけないんじゃないか(特にクインシーがどうの言う台詞とか)という心配が余計なお世話だと言わんばかりに、もう説明台詞以外何物でもない会話も繰り出され、早乙女太一とMIYAVIのコスプレは気持ち悪いくらいだが、そんな諸々が原作と読者たちの間に交わされたかもしれない夢想を(批評になっているくらいに)掬い取っている気がした。これは堀禎一監督のライトノベル原作映画、特に(今からちょうど10年前の)『憐』を思い出した。転校生、異世界の話題を繰り返す学生たち、誰かが記憶から消える終わりなど共通点はある(堀禎一監督はコスプレはさせないけれど)。『憐』の「未来からの流刑者」という設定をルールのように自らに課して周りと距離を置くヒロインの姿は原作の再現としてよりも、空想を日常に浸み込ませて生活する日々の繰り返しと化している。『憐』のルールが一体何のためにあるのか、なぜ彼女は何者かから命じられたルールを、自らを守るバリアにも用いているのか。そのバリアを『BLEACH』の、死神の力を失ったという杉咲花から感じられたことに動揺した。屋上の杉咲花と、彼女について少し離れて「普段どうしているのかな」などと噂しているクラスメイトたちのシーンが印象に残る。
何より『秋刀魚の味』のジョークが使われていることには、本当に佐藤信介監督は堀禎一監督のことを意識しているのではと思った。ただし、あの「あいつなら死んだよ」というジョークは『憐』のほうが批評になっている。『憐』は現在の学生たちの悪ふざけに移植することで、はっきりと笑えないこととして見せている。
杉咲花福士蒼汰の特訓は繰り返されるほど微笑ましい。押し入れとベッドでの会話に漂う寂しさは忘れられない。夜の部屋でノートの落書きを使って解説するシーンさえ、原作の再現という以上の、漫画として描かれた居候を恋愛描写にも傾けず、若者が空想を部屋で語っている。『万引き家族』も漫画かライトノベルが原作だったのではと思った(悪口ではない)。『万引き家族』のリリー・フランキー達だって死神たちの云々と同じくらいに夢を引きずっているようだ。
霊魂を既に喰われ、霊にさえならない母親の長澤まさみ肖像画のような遺影として登場する。あの写真の大きさは「漫画原作」という縛りとは別の、原作に対する距離を感じる。死後の世界なんか本当はない。あるのはただ、生きている人間と同じくらいの大きさの写真だけ。
個人的には吉沢亮が一番良かった。弓矢ひいたり壁に隠れたり、いきなり転校生としてわけのわからない話をしだしたり、何よりマクドナルドにいる姿がとてもしっくりきた。この映画のマクドナルドにはリアリティがどうの、スポンサーのことなど関係なく惹かれる。
ただ霊の登場する予感を味わう魅力はない(『ウィンチェスターハウス』にもそんな怖さはなかったが)。バスの横転には興奮した。竜巻と呼ばれるのが面白いけれど『ピートと秘密の友達』見直したくなる。

eiga.com