スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』。噂通りスピルバーグ印てんこ盛りな映画として廃墟を孤児たちが動き回る。スペイン語を使うな、という台詞が繰り返されるが、最もわかりやすく男女の仲が深まる時にスペイン語も英語も使って二倍になるのも廣瀬純氏の過去の指摘を思い出す。ミュージカルには見えないが、踊り歌い出すことも不思議と気にならない。恐竜顔のリーダーやETに見えるヒロイン(絶対に言ってはならないと思ってはいる)も最初は近寄りがたいのに、いつの間にか愛らしくなる。だが眼鏡のマット・デイモン風の婚約者同様、一番身体が重そうなのに窓まで上り、一度も落下しかけず、さらには冒頭の鉄球のように、誰かを殴り殺せる重い拳のはずが「奇跡」がそうはさせない男、アンセル・エルゴートが最も人間らしくない。彼は死んでからも地に横たわりは続けないだろう。「俺たちは未知のものに手をあげてしまいたくなる」という彼こそ未知の存在。だから男女の一目惚れもドラマも何も無視して『ET』どころか『ジョーズ』『激突』から一貫している。横顔のキスも全くときめかず、むしろ怖くなる。人種の分断以上に、その領域を侵しかねないエイリアンたちが輝いているからこそ、窓辺に突如現れたカーテン越しのアンセル・エルゴートも泣かせる。やはりスピルバーグの映画の中心には人間はいない……と黒沢清の受け売りしか思い浮かばないが。リタ・モレノの歌う切なさも過去作へのオマージュという域を超えて、少女のまま閉じ込められて年老いてしまった存在を見ているようだった。トニーとリフの分裂した一人を見るような友情を除き、ドラマらしいものを感じられないのが難点だが(筋は過去作をなぞるだけではある)。結局いまだにこんな話をやってると突っ込まれたら、それまでかもしれない。しかし去年の150分台の映画とはまるで異なり、優雅でもロマンチックでもないが、映画館でしか堪能できない「時間を忘れる」ということができる。