濱口竜介『偶然と想像』。濱口監督の映画は他の映画よりわざとらしいのか、作られた感が強いというか、それがあえて手口を明かしてるように見えることで成功したのか、第二話の通り「扉は開けたまま」といえばいいのか。あの朗読なんか映画の冒険の標準として記録に残るかもしれない。それが演じられたものとわかって見るから、うまく言えないが人生訓ならぬ「映画」そのもの、作られたものを見てるという充実はあるというか……。それが複製だとしてコピー元とは人生なのか? それこそ偶然と想像の織り成すなにかなのか?ともかく偶然も想像も映ってないが映画のタイトルは『偶然と想像』。しかし映画館で知らない誰かと集まって見るのが結構盛り上がるが、別に終わってから互いに感想を言う気にはなれないとか、それが普通の映画か。なんか既に保守的とか男臭いとか言われる理由もわかるが、その辺の古臭さとか、これはこれで映画を見てるなあという気にはなる。

 

最近は小説が読んでて頭に入ってこなくて辛い。エドガルド・コサリンスキイ『オデッサの花嫁』。亡命者たちのアルゼンチン、といっていいのか。昨年の吉田喜重『贖罪』、21年はまさかのコサリンスキイ邦訳。とはいえ肝心の映画はソフト化されたコクトーのドキュメンタリーさえ見てないが……広島国際映画祭でのアンリ・ラングロワのドキュメンタリーは見れてよかった。これをきっかけにアルゼンチン映画の秘宮がアテネフランセにて復活してくれたら嬉しい。

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