今年最初の国立映画アーカイブにて『蝶影紅梨記』(レイ・ティ)。最後まで見ればタイトル通り、蝶の影と紅い梨が記憶に残る映画。145分だが全然苦にならず。むしろ一気に事を進める時の省略の勢いのよさ、「無駄がない」とは突き詰めればこれくらいはいけるというか、やり過ぎなくらいトントン拍子に事が進む(あの友人の悪い夫なんかあまりにあっという間に役割を果たして消える)から驚くけれど、意外に急き立てられる印象はないのが語りの技術なのか、そこに時間をかけないことに必然性というか誰もが納得できるからか? 詩歌もここでは台詞として簡潔に機能し合っている。難を逃れるために死を偽装した罰からか、生きて結ばれることは許されない仲になってしまった男女(演じるのは女同士)の悲恋のはずが、ついに酔って目を閉じた相手の顔に初めて触れてしまう時の色っぽさと、そのはしたない光景に顔をしかめる爺のカットバックがおかしい。異なる人物の霊を演じていたが、生きた恋の相手としてついに正体を明かし結ばれる、まるで生と死を呆気なく行き来するような、決して短くはない上映時間でも、その転調は不思議なほど軽やかというかスクリューボールコメディのようと言っていいのか。