イントレランス』を出すまでもなく映画と不寛容は切っても切れない縁があり、偏狭さとは何かを確かめるために『春原さんのうた』向き不向きがあるとすればそれまでだが、さすがにきつい。体感時間でいえば『デューン』とか『エターナルズ』とか変わらず。長すぎる映画とは、やはりこっちのリズムと合わない映画なんじゃないかと改めて。大した理由もなく嫌ってしまいそうな閉じた心で臨んだからかもしれないが、にしても心だけで映画を見ているわけでもないつもり。ショットの一つも覚えられないような人間が言っても説得力はないが。飯食うのを写真に撮るくだりを書き手がだいたい受け入れ読み取っているが、なんとなく受け付けられない上に、そりゃ映画だからわざとやってるんだから読み解いてあげるのも観客のマナーなのかなってくらい(さっちゃんはともかく大半の役者もなんだか受け入れられず)。ラストに会話だけでなく寝顔を繋げるのも余計にしか思えず、正直受け付けられないが……。以前杉田協士のTwitterに『ひかりの歌』だったか忘れたが、助監督のときにロケハンで選んできた場所を黒沢清の気に入らなかったため、自作の舞台にしたと書いていた覚えがある。別に見ながらロケ選びのセンスがないとか思ったわけではないが、なにか根っこの方で杉田協士の映画と自分は合わないと思う理由がある気がする。しかしこれが本当にいいと思ってるのか? ザ・現代映画、映画祭映画って感じが本当に乗り切れない。そりゃ、わかった気になって文句いうよりは、わからないところを考えたほうがいいんだろうけど、この受け付けられなさは何だ?

『クライ・マッチョ』もう自分が主演はできないから監督業に徹するはずが、監督業に徹することができる体力がないから再び主演なのか、途中まで「普通だ」と驚いていた。母親が『恐怖のメロディ』どころか『マンハッタン無宿』の頃を思い出す近寄りがたさがあって、これはこれでいい。すぐ横になるイーストウッドもやっぱりいい。鶏に起こされてから後半は、泣かせようとしていないせいか、余計に涙が出てくる。自分だけ寝ていて、目が覚めて、ちょっと遅れてきた気分というのは悪くない(映画を見ながら寝てしまうのも、酔って気を失うのも近い)。映画を見て「泣く」という人の言葉は信用できないかもしれないが、なんだか泣いてしまうんだから仕方ない。たぶんファン心理でもない。言葉の壁を越える。並んで一緒に料理をする男女の短い作業に『マディソン郡の橋』『ヒアアフター』はもちろん『天竜区』の別所さんの餅づくりがよぎったが、そこは別にあんなに切り返しはしない。

立川でしかやってない阪本順治の新作(2020年らしい)『弟とアンドロイドと僕』を見に行く。夜の回は知り合いしかいなかった。これは凄いと(似てはいないがアイヴァン・パッサー『クリエイター』『フランケンシュタイン』に匹敵する科学と心霊の映画に故郷喪失者の如く挑んでいる)思いながら最後まで見ると「本当に凄かったのか?」と、血のつながらない兄弟の確執ふくめ何とも予測を裏切ることはないマッドサイエンティストの映画だが(まさか親父とシンクロするとは思わなかった)、トヨエツは好きじゃないし、トヨエツをずっと見ていたいとも思わないし、せっかくのトヨエツ2号も勿体ないが、ひたすらこんな映画を作ってくれてありがとうと念じながら見た。ワークショップや大学の課題なら作られるかもしれないが、それなら何の驚きもないだろう。トヨエツ教授が盛大に金にならない実験を勝手にしているのだから、せめてこれくらいプロフェッショナルに仕上げてもらわないと意味がない。湯水の如く費やされる雨降らしも大変そう。オタク趣味ではない、3分の2はほぼ奇妙なアクションの日々の繰り返し(烏丸せつこも言うように心と身体は切り離される)で、怪物的な存在と自らを重ね合わせる孤独。そんな魂のこもった映画が見れてよかった。スローモーションもいつになくアヴァンギャルド。焼却炉のおじさんもいい。