トレイ・エドワード・シュルツ『WAVES』。レスリングの訓練も、父との対話も、肩の痛みを告白するより抱え込むほうへ追い込む。肩が爆発すれば、自らがいま維持しているバランスは崩れるだろう。いまや肩は爆弾となって、彼の周囲のタイムリミットと化している。
案の上、試合で肩を壊して選手生命は途絶える。すると飼い猫との関係さえ消えたように、隣室から聞こえる両親の口論を最後に、家族の存在感はあっさり消え、恋人との関係に専念する。恋人を妊娠させたことも黙って、一緒に中絶のため病院へ行くも、むしろ彼女は産むことを選び「家族と相談した」とSMSで告げて自分を「ブロック」する。彼が自らを追い込むのとは真逆の選択を彼女はとった。インスタグラムにはパーティーの彼女が映されていて、自分のことなんかどうせ見てないのだという苛立ちに酒と鎮痛剤が拍車をかける。それを父は止めようとするが、もう遅いだろう。パーティーに居合わせた妹も声をかけられないくらい距離は出来上がっている。
360度回転するカメラと画面サイズの変化以外、ほとんど語りの技なんか信用していないんじゃないかというくらい、ある意味直球。はっきり言って全く面白くはない。映画の人物以上に作家が愚かすぎると思われても仕方ないんじゃないかというくらい(それを全く恐れていないということは良いことなんだろうか)、話そのものは徹底して目新しい印象もなく、時間の長さも、映された行動への理解のために費やされる。SNSの話題になればほぼ紋切り型かもしれない「距離が近すぎる」という批判はあるが、距離を見失い、視野を狭められた人間の話でもあり(見知らぬ誰かからの野次なんか「ほっとけ」とも言えない状況)、父の代から人種をめぐる境遇も引き金となっている。家族の存在感が消えるあたりは、家庭内の彼と家族の関係として非常に「リアリティ」あるものなのかもしれない(「現実」はそういうものかもしれない)し、後半が妹の話へシフトする(ひょっとして風呂場とセットで『サイコ』なのか)のも「そうするしかないだろう」と現実に起こったとしても映画の終わらせ方としても、これくらいしか後味悪くしない方法はないんだろうということなのか? 感傷的すぎる。