豊田四郎は昨年『若い人』を見て(新文芸坐見逃したから悔しくてネットで見てしまったが、いま調べたらもう消えていた)、文字通り「若い」映画なので、ここから豊田四郎も始まったんだと感動した。カメラのアングルとか、音がなければわからない映画を撮ってやるという野心を感じた覚えがある(細部を欠いた、いい加減な記憶)。
そして『冬の宿』も若々しくトーキーとサイレントの行き来を継続していた。これほど煙草の煙が画面を艶っぽくできたのは、いつまでなんだろうか。因果応報とはいえ、何もそうやって転げ落とさなくてもねえと思うくらいは、映画にとっても作家にとっても限られた時期にしか叶わない朗らかさがあった。一番好きかもしれない(ただ『新夫婦善哉』とか傑作らしいののに縁がなくて見逃してばかり)。
特に夫が初めて書生の煙草を吸う際の、口では禁煙を言葉にしているのに、その声を耳にしている書生のカットから夫へ切り返したら既に口に咥えているあたりなんか、見ていて楽しい。同時に映されない妻のことなど思い返すとしんどい。
初っ端の青空とか、キリスト教徒の妻とか、原節子の手紙もいいが、バイロン卿と女たちの話が出てくるとやっぱり盛り上がる。残念だがメアリー・シェリーの名前は出てこなかった。ゴダールもパッサーも、最近見た『フランケンシュタイン 禁断の時空』にも二人は出てきた。ホイット・スティルマンの映画を見てから、過去の出来事から映画を想像することの大事さはぼんやり思い続けているつもりだが、バイロン卿(とメアリー・シェリー)のような何か掻き立てる存在を僕も見つけてみたい……だが何のために?