ウリ・ロメル『Prozzie』。少女は母親が男を連れ込むのを鍵穴越しに見た。そして男が逆上し母を叩き死に追いやるのを見た。『ハロウィン』と同様の形式を辿るのかと思う。たしかに途中までは成長した彼女がサングラスとブーツによって人格を変え、誘い込んだ男性を殺す。しかしそんなに殺さない。スラッシャー映画のように振る舞いながら、たいして殺さない。「ジャンル」として映画を成立させるものを軽蔑しながら日銭を稼ぐために、その自らが軽蔑する何物かに偽装して、しかし出来損ないに過ぎない映画を作る。やや似た回路を辿りつつ、それでも間違って評価される園子温と、間違っても劣化版以外の評価は得られないウリ・ロメルの決定的な違い。ここまでの見解さえ、僕のようなウリ・ロメルを見下した人間の思い込みに過ぎないかもしれない。
単なる手抜きに思えない箇所と、手抜きが混在する。映画を作ることに絶対にやる気を伝えようとしない。そんな意地さえ感じる。
しかし狂的に屈折している。何かが歪んでいる。たとえば最後に旦那の遺体を船に乗せて捨てようとするまでのあれこれと落ち着いた佇まいを見ると、決して下手とは思えない。
中盤、消えた彼女を追う男の視点に映画が変わってしまっているのに、映画は出来の悪い破綻した佇まいを装いつつ、ある品位は保つ。つまりスラッシャー映画と呼ばれるものではないのだ、ここには人間の心があるのだと。人間、やり直しは効く。そう言わんばかりに徹底して彼女は誰を殺しても、ほぼほぼ何の罪にも問われない。ほとんど『ダーティー・ハリー4』のような視点をナチュラルに獲得しているのかもしれない。そして多くの死体が流れてきた、あの映画でしか見られない川が映るのだ。
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