デヴィッド・ロウリー『ピーター・パン&ウェンディ』など

住本尚子さんの短編を見に行く(『ふゆうするさかいめ』はすみません、何度も見てるので……)
『オとセとロ』は最終的にタイトルまんまというか、白と黒と、その繋がってるのか何ともとらえどころはないが、ある意外とキツい場面および何とも触れがたい省略を経て、この断片にはそれはそれでつながらないなりにありうるものかもしれないとなる。『ふゆうするさかいめ』のはっきりしない過去といい、この触れがたさは作品上の欠陥スレスレではあるが。
『うつろい』はちょっと長く感じるというか、申し訳ないがウトウトきてしまう。『ねる』(洋式トイレの登場がおかしい)の作家だけあって、眠気を催してしまう展開は仕方ない? たしかに横たわる人物はいたが。ただ主演二人およびその撮り方に必然性みたいな魅力が薄いのが寂しい。『なんどでもあいましょう』は作品としてどうこうよりキャスティングとかセッティングとかで7割決まった感は良いが、そのへんの期待よりも、どの人間よりもカラスのぬいぐるみがよかったかもしれないが。

 

せっかくの連休を内職で費やしてしまって、4月中頃くらいからの気になる新作は見れず諸々の映画祭も逃したまま職場に戻る。
自宅に引きこもりながら映画の先端に追いつくつもりでディズニープラスに再入会してデヴィッド・ロウリーの新作『ピーター・パン&ウェンディ』を見る。前情報ほぼなく見たのでフック船長の役がジュード・ロウとエンドクレジットまでわからず衝撃を受ける。しかしそれがフック船長だろうが、または彼の本名らしいジェームズだろうが、はたまたジュード・ロウという人だろうが関係なく、これがベストアクトか? 『A.I』以来最も印象的な役かもしれない。褐色のティンカーベルもポリコレなのかはともかく奇妙さは最後まで消えないのだが、その異物感というか合成された妖精写真のようなのがたまらない。そしていかにも現代アメリカ映画のヒロインなウェンディも、ちょっと前作のアダム・ドライバー系のヤバ目のピーター・パン、ロストボーイズの面々、そして『秘密のドラゴン』やオバケやキツネに続いて今作のワニはもっと見たかったが、なんだかんだ何もかもデヴィッド・ロウリーの映画として当てはまっていく。
何とも半端に暗い画面を自宅で見ることを強いられた上に、ピーターパンってやっぱまともに見てらんないよという苦手意識から入り込むまでに時間はかかったが、それでも最終的には十分に『グリーンナイト』の次作として成立させていた。『グリーンナイト』よりも円卓というか暖炉を前に囲む少年少女のやり取りに、どのようにカメラを置くのだろうかと引き込まれた。そしてデヴィッド・ロウリーらしい、離れた場所にいる女の歌声を男達が聞くという展開へ。ピーター・パンとウェンディのある意味で最初の別れを告げるショット(「ここがもう一つの現実だ、おやすみ」)を二人の横から撮り、ピーターをフレームアウトさせウェンディだけ残し、次のショットで彼女も彼の後を追うことはできないとばかりに室外へ去る、その困惑を隠せない顔から急ぎ足に背を向けての後ろ姿が妙に悲しいのだが、そのまま画が後退していくとピーターはどこへ消えたり飛んで行ったわけでもなく、ただ屋内の端にいるまま外らしき空間を見上げている。この奇妙さと悲しさ。
生死の境を行き来し、時空をさまよい、天地もひっくり返ることで映画がわずかな自由を獲得しようとする。白馬の走り抜ける場面の感動をスクリーンで味わえないなら、せめてその前後を飛ばしたり止めたりすることなく一気に見ることによる驚きの意義も感じられる。あの覚悟を決めたウェンディの顔から、ジュード・ロウの何とも言えない老いた顔(水に飛び込んだ音が聞こえたか?)など諸々経ての、あの奇妙な鳴き真似が聞こえてきてからの、空を飛んでいるようで飛んでいない、ただ崖沿いを走る馬のアップなんか忘れがたい。