1/8『ノーマ・レイ』『アメリカ合衆国ハーラン郡』

マーティン・リット『ノーマ・レイ』。そもそもこれまで見ていなかったのがやや恥ずかしいかもしれないが、この機会に見れてよかった。
紡績工場の組合作りのための集会を開けないか、ノーマが長年通ってきた教会の牧師へ頼むも(私、ここで懺悔もしたよね、などと言う)拒否されてしまい、結局彼女の家に集まる。全米繊維産業労働組合の組合員ルーベンが出席した労働者へ、それぞれの悩みを打ち明けてほしいという時、外からはチャペルの鐘の音と讃美歌がわずかに聞こえてくる。彼女が味わうかもしれないこれまでの生き方からの決別による孤独を想像すると悲しくも、しかし前に進むしかないという気にさせる。ノーマとルーベンが共に脱いで川を泳ぐことになる、明らかに危うく、それでも一線を踏み越える手前にいるからこそ不思議と朗らかな光景もいい。何より終盤の、初めてノーマが留置場に入れられ、ルーベンにより保釈されて帰ってきた晩、三人の娘たち(一人は今の夫ソニーの連れ子になる)に、一人は死別した、もう一人は結婚する前に去った、それぞれの父の写真を渡すのが感動的だ。それはノーマ、ソニー、ルーベンが初めて同じテーブルを囲んだバーでの、自らの半生を自嘲気味に語る彼女から大きく変化した誇りのある姿である(スペインにおける労働組合の活動へ、それでも今ある分断をいかに乗り越えるか問うルイス・ロペスカラスコ『発見の年』のことが重なってきた)。
バーバラ・コップル『アメリカ合衆国ハーラン郡』ウディ・アレンのもアン・ハサウェイのも不勉強から見ていないままの監督のドキュメンタリー。『ノーマ・レイ』に続き「女性闘士」という存在の強さを見ることになる。
組合員たちの会議にて女たちが分断されかけた時に、私は自分の旦那が誰と寝ようが構わない、と声をあげ、涙を浮かべつつ、この場をまとめてみせただろうスーザンと呼ばれる女性は『ノーマ・レイ』に映っていたとしてもおかしくない佇まいをしている。
スト破りのならず者というかマフィアのようにしか見えないベイジル・コリンズという男が銃を見せつけながら、ピケの妨害へ現れる。彼らの仕掛けた銃撃事件があったという翌日の朝、スト破り達と対峙する組合員たち(彼らもまた銃を手に自衛することを決める)の中には威勢よくバットを振り回す彼女たちがいて、「we shall not be moved」を声にして怯まない。その間へ明らかに企業側に買収された保安官(その顔から後ろ暗さが滲み出ている)が組合側へ退去するよう告げにやってくる。しかしそこへベイジル・コリンズの逮捕状が届き、組合員から渡された保安官は渋々、組合側からスト破りのいる車へ向かわざるを得なくなるのだが、その保安官の背後にカメラはしっかりついていき、逮捕状を見せられ、「治安びん乱か何かだろ」と言われ(『ノーマ・レイ』ではむしろ組合側の彼女がこの罪状で留置場に入れられるわけだが)憮然とするベイジルの顔をはっきり撮る。「そいつ(カメラ)をこの場から追い出せ」と言われるも、そのままカットせず保安官が今度は組合側へ戻って、また詰め寄られる姿まで逃さないのがさすがだ。