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出勤前にジョージ・キューカー『奥様は顔が二つ』を見直す。
グレタ・ガルボの引退作と言われているからかもわからないが、昨日の『恋をしましょう』のイヴ・モンタン以上に似合っているのか似合っていないのか、そもそも役者にとって合う合わないとは何なのか、それ自体が妙な映画。それでいてジョージ・キューカーの映画の本質を語っている。双子の姉妹(カリンとキャサリン)を詐称して異なる二人の女性をメルヴィン・ダグラスらの前で演じようとする話だが、既にスキーインストラクターのカリンを演じながらメルヴィン・ダグラスに御姫様だっこされながらロッジの扉をくぐろうとする段階で、何らかの似合わなさがあるかもしれない。更衣室ではライバルになるコンスタンス・ベネット共々入ってきた更に若い女性二人組から「時代遅れの格好」呼ばわりされたりする。
初夜なのに「価値観の相違」が露になり(この種のすれ違いがバカンスを舞台にした清水宏にもロメールにもロジエにも見られるが、本作ではスキー場で男女共に水に浸かるシーンが出てくる)、「こんな私でいいの」というグレタ・ガルボを見ながら(ブレッソンのインタビュー本にて、私には映画を見ながらガルボが役以外のことを考えながら出ているのがわかるんだ、などと言ってみせるくだりもあるが)、そこにグレタ・ガルボそのものを見ることができたと思うのは、単なる思い込みかもしれない。だがその不可能さも込みで、この何物でもない戸惑いの時間、名前というものを奪われたような存在(一方ではキャサリンを名乗る彼女のヒールがドレスの裾に引っ掛かったので外そうと鳴らしたステップをその場で取り入れたダンスがルンバとコンガならぬチカとチョカの交じった「ラ・チカチョカ」と呼ばれるデタラメが罷り通る)が映っているという感覚が「引退作」という事実とセットで強く印象付けられる。同様の危うさは彼女がキャサリンを演じた後にメルヴィン・ダグラスの前で、あの「ラ・チカチョカ」をやってみせようとするのに、もう出鱈目にふらふら舞っているようにしかならない。その手前のダグラスが階上から見下ろして観察しているガルボのマニキュアを塗ろうとする姿の妙な痛々しさと、そこでわざと下りてきた彼の前でこっそりスキー用の手袋をつけるまで、ある意味ではさらに痛めつけられたような姿を隠せず晒してしまう。
それにしても三者の台詞だけでも本当のところ何を思うのかが掴みかねるニュアンスの豊かさが劇中でさえ人物同士通じ合えないギリギリというのは改めて面白い。

職場はいつになくムカついていた。

マイケル・スノウの訃報。

帰宅後、録画した坂本龍一の番組を見る。どんな顔で演奏しているかより、より枯れてごつごつした指と手つきの方にやはり目がいく。その鍵盤に乗せる手指のゆったりした動きを見るうちに、これまで何となく見聞きしてきた曲よりも一周回って、あえて単調、でも喜ばしいような(音楽はそれほどちゃんと聞かないので映画以上に印象の域は出ない感想だが)。複数名での演奏ではなくピアノのみにアレンジした『東風』が特に面白かった。ピアノ一台で(といっても相当いいものなんでしょうが)低音までいって、こんな音の出し方ができるんだと驚いた。