ジョージ・キューカーの妙な戦争映画『有翼の勝利』コズミック出版から。画質はかなり悪い。序盤は『つばさ』風の話になるのかと思うが。ドキュメンタリー色つよく、たぶん珍しい訓練にやかましいくらい音声が繋げられて重なる場面が興味深い。空の戦闘そのものはなく、その前後に時間がさかれる。男だらけではしゃぎ歌う(入隊初日の軍隊式歓迎ムードにややミュージカル的な振る舞いを入れるのが楽しい)キューカーも悪くないと思っていたら、やはり女性たちだけのシーンのほうが演出も力が入っている。残された妻三人が遠くに飛行機の見える窓(合成?が素晴らしい)のある空間で語り合うシーンが特にキューカーらしく、デュラスというのは的外れかもしれないが、独立した短編になりそうな異様さが際立つ。「戦場のことなんか新聞で聞く固有名詞しか知らない」と言うのがいい。南方でのクリスマス、男三人女装しての歌唱が終盤の目玉になったり、きよしこの夜の美声がサイレンで中止になったり面白い。


水俣の映画『MINAMATA』を見る。やはり微妙な映画というか、奇妙なものを見ている感じが拭えないまま。日本の海の光に見えないって、海なんか全然行ってないのに思ってしまうくらい。写真の再現や患者の肉体の作り物感も、すべて条件を逆手に取った演出だとして、やはりひたすら気持ち悪く見える。入浴撮るまで飛躍しすぎじゃないかとか。まあ、実際にあの場にアイリーンさんがいたにしろいないにしろ、言い訳臭さも拭えず。そもそもジョニー・デップというのが何か何もかもズルく感じる。浅野忠信があれから出てこないのは、関係うまく行ってないのを想像しろってことなのか知らないが、フィクションとして中途半端な感じ。國村隼は似せてきているのに笑ったが、あの最後の涙は最低だろとか(ナボコフドストエフスキー論に出てくる、感傷的になら誰にでもできるというか、それ以上に珊瑚礁見て泣く高須を思い出す)。それ以上に人の少なさ、圧の足りなさが貧しい画になってるとか。
写真を見てのリアクションの凡庸さ。ラドゥ・ジュデのようにイメージの強さ危うさ平凡さ等を発揮させる作家の映画に比べて、退屈以外何物でもない。おそらく『アンラッキーセックス』(見逃した)の無修正ポルノや、堀禎一監督が中央評論にてルソーを論じた際にアルバイトが冷蔵庫に入った写真をネットに流した話から始める(または『ピストルオペラ』の裸体について、祖父が孫娘を見守るようなと例えるときの視点)、そうしたイメージ自体への意識を揺さぶる批評性はあるわけがないのであった。