五所平之助特集に通い始める。

これまで後回しにしてきた監督の一人だからありがたい。帰りに知人友人から五所ファンの話を聞いて、まともに追う気になれてなかった自分はまだまだガキだなとか思う。
マイケル・カーティス的な位置?と思いつきかけたが、別に映画も、たぶん監督自身も似ている気はしない。
五重塔』のあっという間に塔がニョキニョキどころか既に建っていて(というか室内にあったモデルのミニチュアがそのまま巨大化)、その日の夜に運悪く嵐が!という展開へシフトするなど、重点がそちらへ向かうのが予期できず、それでいて特に豊田四郎みたいなわかりやすい演出の気合が注がれるわけでもなく面食らう。
『煙突の見える場所』。おばけ煙突の話はこち亀とか小学校の頃に見た戦争体験のアニメとかあるが。隣近所の騒音が、突如預かる羽目になった赤ん坊の泣き声(この疑似家族的な題材は鈴木史さんによれば多用されるらしい)によって次第に気にならなくなり、最後には赤ん坊の声を懐かしむことになる。煙突の本数が見る場所により変わるみたく、感覚をシフトさせていく映画(このあたりユーモアセンスが際立つ)? 陽のかわる時間帯を狙ったような場面が目立つ。
『大阪の宿』。DVDも買わず終いだった(いま調べたら高騰してる)が、やはり名作はもっと早くに見ておくべきだった。遅ればせながら五所平之助の魅力にピタッとハマれた一本。斜め正面からのショットを中心にアングルやサイズを変えながら淀みないリズムがヘンリー・キングの映画あたりに近いといっていいか、不勉強だから確信は持てないが。限られた期間についての物語が同じ新東宝だからか、清水宏中川信夫の扱った題材にも重なるが、似て非なるものになっている。その活動時期を選びそうなキャリア含め、日本にいそうでいない存在かもしれず、それが隠れた?ファンの多さに通じるのかもしれない。先日ホイット・スティルマン『Love & Friendship』とジャン=クロード・ビエットの近さを先輩シネフィルから聞いたが、日本なら『空に住む』と『大阪の宿』を並べられるか? 『大阪の宿』もコバヤカワ・コハヤガワ、東西の読み方が変わる名を重要人物に与えているが、それは東西どちらでも左遷され行き来する佐野周二にとって大事な相手にもなる。それにしても小早川さん、ウワバミはんの乙羽信子が美しい。『べレジーナ』同様の飲みっぷりで、彼女と佐野周二の握手にジーンとくるし、彼女がコップに並々ついだ酒を相手にしない奴に頭からひっかける姿に拍手したくなる。彼女から「星」のようと言われた佐野周二の「僕は地上にいなかったのだ」という最後の挨拶も『空に住む』のことがよぎる(最も主役のいる場所は上下真逆になり、それが『空に住む』の特異な死の臭いがする浮遊感に通じる)。キャストは毎日佐野周二が目にするポストの娘までどれもいい。芥川也寸志の音楽も当然いい。買い物ブギといい既成曲の使い方もいい。
『わかれ雲』はなんといっても二枚目時代の沼田曜一!だが、ここでは(どうも初期作に多出するらしい)血のつながらない親子たちの話が、戦争の記憶とともに故郷でもない八ヶ岳へ向かっていく。喉に魚の骨が刺さった少年のためにランタンを持っていかれ、一旦は闇に消えるヒロインの居所の見つけられなさ、そこにやや自分を見てくれない男へ向けたものなのか、性的な色気を感じさせるのがよかった。『大阪の宿』の後に見ると、それは疑似家族というより、行って帰る往復に見え、それが血の繋がりやルーツとは違う可能性を人々に与えようとしているのか(この可能性は清水宏にもあるが、やはり別れの要素、一つの場所に留まれない者という印象が強い)。ここでも人物間のドラマ的にも視覚的にも微妙な距離がいい。亡き母の形見の匙が、母代わりの女性からのプレゼントの小袋と行き交う最後。『大阪の宿』の佐野周二同様、彼女が本当にまたやってきてくれることを期待して。