邦題が(仮)みたいだから本当に公開されるのか何故か信じられないままウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。内容もわからないまま見たから3話形式に驚く。さらに最初からいろいろありすぎて眼の前のことに追いつけず、年に一回はスクリーンにかかってもらわないと!と言うくらいだが、そもそもの前提も、フランスなのかも、ジャーナリストに捧げられた話なのかも、どうでもよくなってくる。さらに誰が出ているのかも把握しきれない。ドゥニ・ラヴァン似の囚人はまさか違うよなとか、シアーシャ・ローナンの思い切った贅沢な登場とか、美しいというのさえ戸惑う唐突なレア・セドゥの裸体(これにたとえられる他の例が思い浮かばないくらい)とか、あのカラーとモノクロの行き来といい、感覚として受け入れられても頭では追いつかないことだらけの映画。エモーショナルな場面さえ、いよいよこだわってられなくなる。
ただ誰が見ても「泣いてはならない」という文字は不要なくらい、一度も泣かせてくれない(『グランドブダペストホテル』も『犬ヶ島』も切ない場面はあった)が、それだけに『犬ヶ島』に続いて溢れる涙が奇妙というか、終盤のアニメーションも本当に素晴らしいが、やはり「あれはなんだったのか」と思い返す。レア・セドゥを追うスローモーションの横移動も余計といえば余計な気はするが、ただそれらも見ている間は気にしている暇がない。一度見ただけではよくわからないが、いつか見返して頭が追いついてしまうと途端に何もかも白けてしまうんじゃないかという怖さがある。でもこれを劇場で見逃すほど退屈なこともない。