夜勤前だからもっと寝たかったが、うまく寝られなかった。

 

みんなで映画のつくり方を学ぶために友だちに書き送る手紙 vol. 2@東京藝術大学馬車道校舎

『ミュジックの子どもたち』(佐々木健太

『みつこと宇宙こぶ』(竹内里紗)

『わたしたちの家』(清原惟)

佐々木さんの映画は『帰ってきた珈琲隊長』が面白かったから、今後も見続けたい。

『みつこと宇宙こぶ』は自分の調子が悪くほぼずっと寝てしまう。

『わたしたちの家』はそこで終わらせるのかとか、まさかの『ドント・ブリーズ』な二階の捜索がもう少し続いてほしかった気もするけれど(より恐怖映画的な、『イット・フォローズ』や『フィクション。』の側に振り切ったものも見てみたい)、良いと思う。『ひとつのバガテル』につづき、微妙に感じの悪いあやしい人たちがやってくるなか、菊沢将憲さんが面白かった。あとワインを吹きだす場にいる小田篤さんも良かった。清原さんの映画は、画から人からギリギリ作り込まない塩梅が癖になる。ジェス・フランコジャン・ローランの名前を出したくなるが、当然そこまでいびつではない。やはりシュレーターやファスビンダーの影響か、もしくはミランダ・ジュライの映画も思い出すけれど、いまおかしんじの名前もよぎる。誰も脱がないけれど。その作家の映画でしか見られないリアリズムを予感させる。あの土に挿しこむクリスマスツリーのように。『ひとつのバガテル』の団地の人々はいま思うと『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブ』の吸血鬼たちのようでもあった。

夜勤に備えて帰る。

ネットばかりやって夜更かしして、せっかくの休みだから早く起きようと目覚まし設定したが、結局早すぎて起きれず、気づけば14時過ぎていた。「朝陽を浴びた方が(いろいろ)良い」という話を思い出して、それだけでなくいろいろできないと思うと悲しくなる。

DVDで『女教師M(ヒバリ)』(いまおかしんじ)。『カンウォンドの恋』のホン・サンスを見て思い出したのはいまおかしんじだった。

その後、ようやく外出して『パリ、恋人たちの影』(フィリップ・ガレル)。もう物語る個人の歴史なんかないと言わんばかりに嘘をつく映画。これまで以上に古典映画的に装われた語りを経て、男女が別々の部屋にいての切り返しには、物語そのものが薄らいで消え入りそうな感覚さえ漂う。ここで別れちゃったら、もう語ることがなんじゃないの?と驚いたら、本当に少しして終わってしまった。あっという間だった。それでも編集台の前の手を見ると、斜に構えては真似できない熱が残っている。やはり二人じゃなきゃ駄目だ、二通りのやり方さえあればまだまだ行ける、というカップルの映画なのか。単に直前に見たいまおかしんじも負けず劣らずヤバかった。

夜勤明け。

夜、sora tob sakanaの定期公演を初めて見に行く。あっさり終了。

時間があったのでスコセッシ『沈黙』。「神様はつらい」ならぬ「司祭様はつらい」というか。『シャッター・アイランド』に近く、閉じ込められて終わってしまう映画ではある。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』以上に、いよいよただただ見入るしかないという領域。透明感さえある。しかし今回も合理的な、ひたすら世の流れに屈していく他なく追い詰められていく。主人公は自分で自分に言い聞かせ続ける。その変化を、飲み込もうとする波を見せることによって、かつてあったキリスト教徒たちの受難でなく、いま現在信仰も何も関係なくうちひしがれる映画にしたのは流石だ。ついに踏み絵から言葉が返ってきてから、しかし彼自身から送る言葉も手紙もなく、新たな語り手が締めくくることになる最後、窪塚の退場とあいまってギリギリの可能性があるのかもしれない。

それにしても、やはり役者の映画だ。いま思えば残酷なくらい先の道筋が決まってしまった時のアンドリュー・ガーフィールドの水辺での笑いに尽きる。予想通りイッセー尾形浅野忠信はサディストの輝きに満ちていたが、讃美歌を歌う塚本晋也も自作での痛めつけられ方とはまた別に美しく、登場しても退場しても一々はまる窪塚洋介は惨めさそのものを体現しているようであっても最高だ(最後にはグッとくる同伴者である)。火あぶりになる窪塚の妹(妻?)と、対称的な末路を迎える小松菜々のことも忘れられない。そこまで好きでない加瀬亮の死に様には「待ってました!」と興奮してしまった。いよいよ司祭が囚われていく、それ自体目を背けたくなる悲惨な場面とわかってはいるのだが…。一服の清涼剤になる片桐はいりは偉いと思う。そして牢屋と言えば音の映画、沈黙と言えば音、という具合だが一番耳に残るのはイッセー尾形につきまとう蠅の音。