5/16~17

5/16

朝から最寄りのtoho市川(千葉県民なので)にて『マディソン郡の橋』。今更言うまでもなく別れが近づくほど切なく容赦ないのだが、とにかく車内やキッチンでのイーストウッドメリル・ストリープのカットバックを見続ける時間の、余裕ある長さに感動する。ずっと見ていたいというのとも違う(メリル・ストリープが好きなわけではない)。それはキンケイドの放浪に費やす時間に近く、今なら『15時17分、パリ行き』の旅行パートに結び付く。「自由さ一歩手前」という感じが、物語にも相応しい気がする。メリル・ストリープに捧げる詩がバイロン卿というのも今回気づく。そしてこぼれたコーヒーから、トンネルの闇、メリル・ストリープの窓際まで自由に飛び交う蝿。

図書館に寄った後、文学フリマに行こうか悩むが、COCOAダウンロードしていないので、結局書店にて立ち読みをするなど。

自宅にてマイケル・マン『アリ』。安東アナがラジオで映画における銃の取り扱いについて『ダーティ・ハリー』は許しがたく、マイケル・マンを激賞していた記憶があるが、まあ、そういう違いがあるのは明らか。ラスト1/3くらいで舞台を移して(アメリカの外に行って)闘うという展開(その前に終わらせちゃいそうに見えるのだが)は、もうマイケル・マンの作家性なんだろうか、と思いつつこれ以外は『ブラックハット』しか思い浮かばず。なんとなくソダーバーグを見なくてはという気になるが、この辺にしておく。

 

5/17

仕事前にジェリー・ルイス『Three On A Couch』を見る。トリミングされた画面なのは間違いないが、それにしても(使いたくない言葉だが)「密」。本人が動かないかわりに、画面を混沌とさせるための狭さなんだろうか。今回はボディダブルでもないのに(そのあたり含めドタバタとして微妙に抑制している……少なくとも途中まで)、カメラが役者の背後に回って(その横顔も見えるから代役でないのはわかる)、相変わらず奇妙。なんだか加藤泰のような構図の画面まで出てくる。そして声も、音源は映るのだが度々フレームアウトさせられるので、一体どこから聞こえていたのかを見失わせる。ジャネット・リー精神科医という時点で何だか凄い。

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5/15

休み。

レンズ選びとは何なのか考える映画になるのではと思い、ウェス・アンダーソン『アンソニーのハッピー・モーテル』と『ライフ・アクアティック』を見る。(『ムーンライズキングダム』までなら少なくとも)『アンソニー~』が一番面白いのか? 『ライフ・アクアティック』は今見ると乗り切れない。結構手持ちが多いのが良いと思えず。「中年男性が息子(世代の若者)を葬る話」というのは結局どうなったんだろうか。たしかにオーウェン・ウィルソンを死なせるのは『アンソニー』と続けて見るとショックではある。物語の役割的にはジェームズ・カーンビル・マーレイが近いのかもしれないけど、まあ、比べるまでもなく全然違う。

夕方「ジギタリス あるいは1人称のカメラ|石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、細倉真弓」を見に行く。品川から歩いていこうとするも開館時間に間に合いそうになく挫折して、久々に(というかこんな理由では初めて)タクシーを使う。感想は特になし。

そのまま帰るのも虚しいので古書往来座へ行き『ORGASM』最新号を購入する。

帰宅後、読書しようとするも、やはり集中できず虚しく時間は過ぎる。

5/14

出勤前にスタンバーグ『陽気な姫君』。この光(というか影)の人工性が撮影・岡崎宏三になってからの豊田四郎は強まるんだろうと思いながら。背後をよぎる人影は奇妙に美しくても、画面に役者が三、四人と増えていくだけの演出はさりげない。

帰宅後は水木しげる漫画大全集の貸本時代を読む。

5/12

5/12。
夜まで仕事。
豊田四郎『風ふたゝび』。
撮影が三浦光雄の頃と思ったが会田吉男(原節子の兄)だった。初っ端から俯瞰ショット。しばらくして階段で病から人が倒れる。そこから時間を吹っ飛ばして終盤、原節子が走り出す。おそらく『小島の春』の頃から『恍惚の人』まで病人と走る人はほぼセットで出てくる。横たわる人(それを俯瞰で見下ろす視線)と、何かを決めて走り出す人(それを追って前進する撮影)。そこに共通するのは、自らの今いる場所(フレーム、特に家庭内)に収まってしまうことへの居心地悪さなんだろうか。鳥かごも出てくる(豊田四郎の映画にはなぜか動物が多い気がする)。やや広角の狭苦しい画面は俯瞰ショットと、人物を追う時は違和感ない。スタンダードのフィックスは相応しくないレンズなのかもしれないが、それでも家庭内の狭苦しい画を選ぶのは、これはこれで豊田四郎の主張なんじゃないか。