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『ローリング』(冨永昌敬)

すでに映画の終わる段階から振り返っていると思われる人物が、まだ映されている出来事の段階からまともに先を見ることができていず進歩していないように語っている気がしてくる。
ソーラーパネルをめぐる「想像」のシーンでは、映されている男は見えないソーラーパネル以上に、あるはずの札束が失われてしまうことへの想像を欠いている。奪われる展開が嫌でも想像でき、今となっては語り手もはっきりと、あの時教え子の言葉を聞いておけばよかったと後悔している。しかし札束が封筒に包まれてほとんど中身は見えなかったように、札束の喪失も、どこか観客としての自分の想像とも語り手の言葉とも異なるかたちで訪れることになる。そもそも札束自体まるで手にできていなかったかのように。想像と関係なくはっきり映され、変わらないものは、その気になれば今からでも修繕できるはずのものだった。
かつての教え子と教師のどちらもが異なる場所で自らの死を予感しているだろう時、過去を振り返るまでもなく、ますます登場人物たちはその場で口にした言葉に裏切られていく。こちらの予感した死さえ、結局のところ間の抜けたものになるおかしさ。