『オレの獲物はビンラディン』が妙に後を引く。社会風刺的な要素として受け取れるものは、ほぼほぼない。ニコラス・ケイジの起用はヘルツォークやポール・シュレーダーあたりへの目配せなんじゃないかという気もするが、その二人がもしも監督していたら、良くも悪くも灰汁の強い映画になっていたと思う。むしろ本作は(一本しか見ていないが)ジャド・アパトーのコメディってこんな感じなのかな、という要素もある。「大枠実話」という触れ込みと、冒頭の「この人物は我々観客と同程度に狂っている」(大意)というナレーション通りではある。特に同棲相手(というより理由を付けて転がり込んだだけ)とその娘との関係を含めて、ニコラス・ケイジも彼女たちも予想以上に繊細に演じている。勝手な想像だが、たぶんこの中年男女のカップルが実在したとして、その関係はもっとタチの悪いものだと思う。だが二人を馬鹿にすることも、突き放すこともなく、適度に親しみやすく、現実はもっと惨めだろうけれど映画として見るならばこれくらいが丁度よいんじゃないかという、不思議と説得力ある関係を見せてくれる。その塩梅に感心した(相変わらず上から目線だが)。彼はGODとビンラディンをめぐる夢から何度覚めても戻ってしまい、結果ヒロインと娘との暮らしのほうが夢だったかのように覚めるギリギリで映画は終わる。本当はこのバランスをパレスチナの人々に向けるべきなんだろうけれど、どれだけパレスチナで気さくに振る舞って「心が広くて良い人ばかり」と言っていても、たぶん視野は狭まるばかりな主人公に映画も合わせているんだろうと思う。