サッシャ・ギトリ特集に通い始める

サッシャ・ギトリ、フェルナン・リバース『幸運を!』を見る。

まさに見たら良いことありそうな映画。

「幸運を!」(Bonne chance!)の声が、声をかけられたヒロイン、ジャクリーヌ・ドゥリュバックが聞いたのか、単に脳内でリフレインしているのか、ほとんどギトリがどこにいるのか無視して響いて、それに笑顔で振り向く彼女の顔というのが何とも大胆というか、ギトリという存在が映画に占める異様な大きさというか。その声に誘われるように、彼女が宝くじを買うと決めて寄った先では、これまたおそろしく耳の遠い受付と問答する羽目になり、ここでは二人が同一ショットに収まっているのにやり取りがすんなり成立しない。一方でドゥリュバックの家には彼女に恋い焦がれている青年が徴兵を前に告白しようと待ち構えているが、汗で手袋が吸い付いてしまうとか言ってるのがおかしい。この路地が見通せる窓辺の空間が、当初は手前にテーブルか何か見えているのに、この窓辺でのドゥリュバックと、そこへ通りがかったギトリとの窓枠を介した内と外の切り返しによる会話がいよいよ時間をかけて繰り広げられる時に、その窓際のスペースが舞台と化して見えてくる。この内と外の切り返しが『夢を見ましょう』のおそろしく長い電話の使用や、扉へのこだわりなど、外部と接続しながら延々続く舞台という印象で結びつくかもしれない。ドゥリュバックとギトリが男女の仲になるのは予想通りだが、一方で彼女はギトリとの行き違いから青年からの結婚の申し出をあっさり引き受けてしまう。しかし彼女の買った宝くじはあっさり当選していて、彼女にくじを買う後押しをしたことになるギトリとともに、青年の入隊期間中なんと一足先のハネムーンへ旅立ってしまう。この展開に後ろめたさや悲劇性は微塵もないのがさすがだ。舞い込んだ大金でもってギトリが自動車の購入をするあたりからロケーション撮影が用いられるようになり、二人がゴルフをする際のクラブを追って上下するカメラの動きもおかしいが、どうもギトリが映画の音によるマジックで相当飛ばしていることになるのも大変都合がいい。二人がレストランでの席を探すのに4回ほど見送るという、普通の映画よりもちょいと多くてしつこい繰り返しもギトリらしいし、ナプキンに大金の残り金額を計算する数式が書かれたり、またはプランを川をゆく船の画に描いてみせたり、数字と絵画というのも他のギトリの映画で散見されるうえに、モナリザの唐突な挿入や、父オーギュスト・ルノワールの描いたジャンの登場も大変粋なもの(撮影のジャン・バシュレとルノワールの付き合いは『水の娘』まで遡る)。一方で入隊した青年の動向も随所にはさまれるのだが、こちらは一貫してセット撮影なのがわかりやすく、両者の対比は何も知らぬ青年の憐れさというか愚かさを当初こそ見ているようだが、むしろギトリとドゥリュバックがセスナ機に乗るタイミングで、青年が記念撮影用の作り物の飛行機に跨がるカットを挟んで見事に繋げるあたりから趣向は明らかに変わって、両者が対比ではなく一本の線で結びつくことで素敵な結末へ向かっていく。

サッシャ・ギトリ『役者』。父親リュシアン・ギトリの一代記と思って見ると、第5夫人ラナ・マルコーニ登場のエピソードの持続時間の長さが明らかにいびつなんだが、そこがギトリの走り出したら止まらない面白さというか。ラナが振り向くだけのカットを挟むのが、彼女はどの向きから見ても最高だろ?というメッセージに間違いなく、なんとうるさい映画。親子二役はともかくギトリが○○を外す(装着した?)瞬間はかなり衝撃を受ける。一気に時間が飛んだかも。シネマキネマ氏の「ヘッドギア映画」というフレーズがよぎる。ギトリ分身後にカメラがパンするあたり万田邦敏監督の8ミリ『女の子はみんな双子である』のゆっくりパンしている間にヒロインが明らかにカメラの背後を回って移動する(あんなフォトジェニックなヒロインがそんなバカバカしいことさせられているのを想像してはキュンとくる)のを思い出したが、ギトリ御大は高速パンで2カットを1カットに見せてた。パスツールの写真と、リュシアンがメイクをつけていく姿に鏡で寄っていく、妙に忘れがたいインタビューのくだりもクライマックスとして何らかの親子のドラマが用意されてるわけでもなく、ただただ鏡の中へ入り込む仕掛けを見ていて、その画面外には息子ギトリが控えているという異様なシチュエーション。ラスト、父からの手紙を届ける後ろ姿だけの婦人が謎めいていていい。

サッシャ・ギトリ『二羽の鳩』49年。ジャン・コクトー『恐るべき親達』、ロッセリーニ『アモーレ』(『人間の声』)が48年。『デジレ』『カドリーユ』など37年の作品に12年経って戻ってきたということ? 通して全部見たわけではないのでわからないが、役にありつくまでのプロローグを経て、家庭内裁判を繰り広げられる居間の基本的なステージが早速出てきて、その両脇には二つの扉があって……という舞台のシンプルさが一周回ってきた感じというか。それにしてもどこまでも自分の非を認める気などさらさらないギトリ氏の厚かましさは清々しい。