『クイーン・オブ・ダイヤモンド』(ニナ・メンケス)

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国立映画アーカイブにてニナ・メンケス監督・脚本・撮影・編集『クイーン・オブ・ダイヤモンド』名前はたびたび聞く監督の映画をようやく。編集には主演のティンカ・メンケスもクレジットされている。しかし食後すぐに見たせいか不覚にも序盤はウトウトしてしまったが……。
タイトルは文字の代わりにダイヤのクイーンがキラキラしながらゆっくり回るだけ。
ヒロインはラスベガスのディーラー。夜は仕事だが、日中は近所に住む高齢者(うろ覚えだが親戚か?)の介護など。断片的に日常が連なっているだけのようだが、撮影の距離、編集のリズム、弛緩しているようでキレがあるのか、アケルマンの影響はあるだろうし、『ワンダ』や、本作四年後の『リバー・オブ・グラス』に通じるものはあるとも思うが、どことなく大半のワンシーンワンカットのような調子に(逆さに磔にされたキリスト像を抱えるグラウベル・ローシャの映画でも見たような光景を、像の側へ寄ったり、彼女を中心にしたりと切り返していく場面など、やり方はそれだけでもないのだが)ダニエル・ユイレの編集したルドルフ・トーメ『ジェーンはジョンを撃つ、彼がアンと寝たから』を思い出す。
やはりカジノのシーンが凄い。カジノというのは映画的な舞台の一つに違いないだろうが(メルヴィルとかドゥミとかスコセッシとかナデリとか)、テーブルにほぼずっといるように見える老いた男性の客、それより頻度は落ちるがたまにやってくる老いた女性、それらの合間か、より複数の客もいるが、特に彼らのゲームの具合がはっきりわかるでもなく(それでも居座り続ける客ほど消耗しているように感じるが)、ただカードをさばき、スロットやゲームの音が単調なリズムとして耳に残る。そしてここでは彼女の手作業を捉えたショットと、テーブルの正面側と裏側とカメラを置く位置は的確な印象、かつ不意に客たちにズームして生々しく撮りもするが、それでも言葉としてはっきり声は聞こえず、ドラマらしきものは消耗していく時間以外はない。紙幣がテーブルの口に押し込まれ、老人の客が席を立ってからシーンは変わり、直後に彼女が介護をしていた老人の、単に顔をシーツで覆われて、電話によって告げられる呆気ない死が続く(ここで別々のはずの老人たちの印象がどうしても重なる)。そこでのやり取りが笑ってしまうくらい心無いのだが、このふざけているのかというほど突き放した調子はシーンのリズムに関わらず全編一貫している。黒人の友人女性を伴って彼女の失踪した旦那の捜索願を出しに行くというシーンも、彼の名前さえ忘れたかのように言うこともせず、受付の担当者が電話をとっている間に帰ることにしてしまうほど真面目に待つどころか真剣さは感じさせないし、なぜそもそも捜索願を出しに行ったのかも悪ふざけか嫌がらせの一種のようであるが終始彼女たちは笑うことがない。一方で友人女性の手首の有刺鉄線を巻いたかのような傷跡は映されて、その唐突に目に入る痛々しさは、たとえばヒロインの隣人のフィアンセという女性の目の殴られた痣にしても忘れがたいが(同じタイミングで見ただろう方からご指摘いただいたがヒロインの背中にも傷があって、つまり女性三人それぞれに傷の見えるカットがあり、しかも傷がそのショット以外にも継続して見えているか怪しいという点も通じる)、それも後の披露宴では見えなくなる。披露宴はまた一層カジノの場面と同様に凄い。アントニオ・カルロス・ジョビンらしき音楽が海辺の会場の賑わいに混ざって単調に聞こえるなか、そこには「プレスリー」もいれば(漠然とルシエン・バラードの名前が頭をよぎるが確証も根拠もない)、ほぼそれまでの映画での出来事を隠ぺいするように祝って、楽し気に踊る新婚夫婦もいれば、なぜか出席しているヒロインが明らかに奥で映ったり消えたりしながら(このあたりウォーホル×モリセイの映画の時間の飛ばし方を思い出さなくもない)、独特の気怠そうというには鋭すぎる睨むような目つきのまま柱に佇んでいたりとか、キノコに蠅が止まっていたりとか、そうした時間の先にやはりまた笑ってしまうしかない短いやり取りが続く。
窓に映り込んでいた猫たちは一匹かと思いきや、おそらく立て続けに映るあたり複数なのだが、この匿名性はカジノの客や老人と変わりないかもしれない。そのうちの一匹の無惨に轢かれた亡骸を見続けるショットには、シーツに顔を覆われた(そして死因もはっきりしない)だけの老人とはまた別の、それでも慈しむというほどの感情が込められているとも言い難い距離が維持されている(映画は後にもう一人死体が出てくるだろう)。象の踊りも出てくるが、サーカスそのものではなく、サーカスのトラックの前で電灯を浴びながら三匹がリハーサルをしているのか、身体を揺らしているだけといってもいい。