黒川幸則監督『淫乱生保の女 肉体勧誘』これは過去に自宅で二~三回見直して、実は苦手な映画だったかもしれないのに、『にわのすなば』をきっかけに再見して、今更感動する。
そもそも冒頭の腹話術人形をつかう赤髪の川瀬陽太が生保レディとオフィスでセックスする展開にいつも「自分は何を見ているんだ?」と気持ちが離れていったのに気づく。はたしてこの世に「生保レディの肉体勧誘」は実在するのか? 『DOORⅢ』『風俗の穴場』など保険の勧誘はセックスと結びつきやすい題材だが、そんな生保レディの彼女が「バカなことしちゃった」と言いながら水を汲み、公園の原っぱには蛙たちがいて、彼女の素足には亀がいて、あまりに朗らかかつ、本当の意味での色気のある景色に一気にときめいた。そして肉体勧誘なる行為が実在するのかさえ、恋心と共に移ろう展開に『にわのすなば』まで一貫した心地よさがあるのに、ようやく気付いた。これまた男の見た夢の世界かもしれない。屁のように生きて屁のように死ぬのだ! 行き交う車の音も、手持ちで女性の散歩を追う場面が出てくるのも、つながっている。今泉浩一の屈強なハリー・ラングドンか、はたまた石井隆の映画の椎名桔平をさらにピュアにしたような佇まいも見直したら明るく可愛らしい。ロングショットで出てくる元カノの結婚相手の何となく怖い塩田明彦も面白い。

黒川幸則監督『夜のタイ語教室』改めて見直すと、これは名品。カフェテラスでのかすみ果穂と倖田李梨の会話に『にわのすなば』にも通じる、男がいない場での女同士の(それもまた男の見る夢みたいなものかもしれない)会話がいいのだが、それを覆うような雨降りにセミの鳴き声が重なって、夏のにわか雨の後にムッとする暑さのことを思い出せるのが素晴らしい。霧吹きから花壇まで自然の質感へ目が行く。変なことやろうとしているようで詩情みたいなものが失われていないというか。普段言いにくいこともタイ語なら言える、そんな話をするタイ料理屋でのカウンターの男女の位置も、かすみ果穂のアップも印象深いが、何よりその言葉の意味をついに夫へ(婚姻前なのだが)口にした直後に少し引いた画に繋げる、その距離もタイミングも、あられもない彼女の誘う態勢も何もかも素晴らしい。

黒川幸則監督『感染病棟』まさかのパンデミック映画(ということにしよう)。新型インフルエンザ流行の時期に撮られたコメディ。ヒロインが階段を滑り落ちるくだりは『青の時間』の題材に先駆けてバスター・キートンへのオマージュを捧げようとされたのかもしれない。パンデミックとはいえ、ヤブ医者にも程がある医者親娘の経営するクリニックと、彼らの一軒家と、妹の恋人の家と、それらを繫ぐ近隣の通りのみという狭い舞台で、彼らがドタバタというかアタフタする様が微笑ましく楽しく、しかし不安気であっても「死の舞踏」まで、あえて短い人生をあくせくする必要などないじゃないかという気にさせる。なぜか葉月蛍がマチルダ・メイもしくはリナ・ロメイを彷彿とさせる役になり全裸で吸い付いてきて謎を振りまくものの消えてしまう。撮影助手に橋本彩子がクレジットされていた。

ドキュメンタリー『いもの風土記』第一部「水の刻」を見る。実際に黒川さんの映画らしいかもしれない「いきなり呼ばれて、そのまま帰ってこれない」話から始まる。『天竜区』のスタイルを嫌でも思い出すが、写真、絵画、音声のクリアさと画面との同期具合など入り込みやすく、そこが関係者にとっては確かに良いような、何かまだ物足りない気もする。たしかに堀禎一監督の生理なのか、あえてなのか、あの独特さを思い知った。いや、でもこれはこれで『ラララの恋人』からすでに一貫したスタイルの映画でもあるんだなとも。水面に反射した光景がいい。ひとまず五部までの完成が待ち遠しい。