清水宏『明日は日本晴れ』この題がすべてを物語っている時点で、なんとも戦後の日本映画というか。バスの運転手を正面に混んだ車内を撮ったフィックスから、いつも以上に狭苦しく、それでもミラーに映るサングラスの女性は生々しく近そうで、実は浅からぬ縁のある運転手の側からは遠く奥の後部座席にいることがわかる。何もかも戦前からの清水宏の映画の人物たちでいながら、戦争の影を宿した人物たちとして集まり、そこには『按摩と女』の日守新一も含まれる。上映前の研究員の方の解説によれば、御庄正一は実際に戦中に片足を失った人物でもあり、彼が同様の役で出ていた『蜂の巣の子供たち』の次作ということが印象づけられ、さらに戦災孤児も潜り込んでいる(彼の渡した煙草が後半、実に素晴らしく機能する)。製作の松本常保の経営していた米兵向けキャバレーの踊子たちではないかという娘たちの後姿と大した振り付けもなさそうなアンニュイな仕草を捉えた後景(前景での煙草の受け渡しがまたいいのだが)も忘れられない。バスの故障というトラブルにより清水宏らしく横道へ逸れた時間を、忘れたくても忘れられない過去を語り合う時として費やすことになる(知人からの指摘でようやく気づいたが、本作でのバスは誰も目的地へ運ぶことなく、乗客それぞれが次のバスか、徒歩か、移動手段を択ばされることになるのが『有りがたうさん』との最大の違いであり、それが戦前の作品への批判的な変化なのか、後悔なのか。ものすごく大事な違いだった)。めくらの日守新一と、聾で唖の老人の組み合わせが、あくまで脇道のようで何故か泣かせる並びに収まっていき、終盤の不意の無音に技術的な限界を超えた効果を感じてハッとさせられる。何もかも清水宏らしく、いつまでも過ごしていたい朗らかさと、動揺するしかない不安定さが一体化した傑作。

稲垣浩監督・伊丹万作脚本『俺の用心棒』とサム・ライミドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』を続けて見る。『俺の用心棒』の製作背景を聞いたら、伊丹万作の脚本ふくめマルチバースな?世界が繰り広げられていて驚く。それ以前にファストな感じにコマが飛びまくっては欠落部分もあるのと、睡眠不足と食後の眠気が襲って意識も飛んで最初は話を追うのを諦めた。不勉強のため稲垣浩に疎いが、意識があった範囲では、かなりシャレたユーモアとセンスのある映画で面白かった。特に将棋盤でのスローモーションが凄かった。猫も活躍。走って逃げるシーンを移動撮影ではなくフィックスにしたかったという話が面白かったが、どことなく洋風な酒場でのカメラの動かし方とか良かった気がする(うろ覚えだが)。終盤の主観ショットでの移動が清水宏のバスと被っていた。